各位
 「仙壽山全久院歴代墨蹟展」は、お陰様で盛況の裡に無事終了する事ができました。心より御礼申し上げます。各時代の指導的禅僧であった歴代住持、並びに関係諸師の墨蹟が一堂に展観されたこのような会は、初めての事でもあり、又今後も簡単には催される事はないと思われます。これはその記録であります。又新資料や研究成果の発表の場にもしたいと存じます。どうぞ御高覧戴きたく存じます。
2006年10月15日
信陽美術研究会
総務 青木 茂夫

日 時  2006 年 2月 3日(金) 13:00~17:00
4日(土) 10:00~17:00
5日(日) 10:00~17:00
場 所  松本市美術館 市民ギャラリー (無料)
「開智学校」として明治六年の「信飛新聞」に現れた仙壽山全久院。この校庭に「福壽軒」、「竹翁軒」、「東勝軒」の三塔頭があった。


仙壽山全久院歴代墨蹟展について

 松本の地から仙壽山全久院が消えて百三十数年、人々の記憶からも殆ど消えてしまった。女鳥羽川河畔、千歳橋の南西、かつて旧開智学校の場所にあった禅宗寺院である。開校当初その本堂が校舎に転用されたのであった。
 そもそも同院は松本藩主戸田家の香華寺院であって、それが為に松本藩の廃仏毀釈の手始めに棄却されたのであった。しかしながら同院は本邦禅宗において確かな地位を占める寺院であった。と言うのは、近世仏教とりわけ禅宗においては、確かに幕府による厳しい支配体制下にあって本末寺関係も又徹底されていたものの、その法輪の中心は必ずしも上層寺院にある訳ではなく、多くは時々の勝れた禅匠の法窟にあった。その意味で、代々所謂名僧が住持し法輪を転じた仙壽山全久院は、曹洞禅において重要な存在であった訳である。
 同院は、永正十一年(1514)三河国渥美郡橋上村に戸田憲光侯により克補契嶷禅師を開山に請じて創建されて、以後移封の度に伴われて転寺を重ねた。松本の地にはまず六度目の移封の時に来り、再度十一度目の移封の時(享保十一年=1726)に到って、以来百四十五年間法輪を転じたのであった。第二十二世是妙不伝禅師の代には、常時大衆(だいしゅ)が多数掛塔する叢林の体を為していたようである。加納時代の鉄心道印禅師、丹嶺祖衷禅師を始め各名僧が禅風を振るってきたのであったが、先に触れたように,明治三年(1870)大檀那戸田光則侯は新政府への恭順を示す為に激しい廃仏毀釈を行って、垂範して菩提寺である同院を廃却したのである。
 これにより叢席としての全久院はなくなったが時の住持巨海意龍禅師は松本全久院の宝物を橋上村全久院に避難させ、自身は本尊像、大般若経等を携えて全久院二世国光舜玉禅師所縁の新潟県三島郡出雲崎に移り、苦節の末明治十年(1877)小規模ながら仙壽山全久院を再興したのであった。冒頭述べた様に、松本の地から仙壽山全久院が消滅してほぼ百三十五年。その存在は殆ど忘れ去られており、況やその天下に鳴り響いた盛んな様に到っては全く忘却の彼方の事象である。
 今回の展観の主旨は,従来知られる事の無かった歴代諸禅師の墨蹟の紹介にある。それ等の示す超俗、気魂、透徹を鑑賞して戴いて、併せて、それらを通してかつての仙壽山全久院を僅かなりとも彷彿できればと企画したものである。書は正に端的に境涯を表す。従って諸禅師の墨蹟は即全久院の在り様であると思うからである。
 多くの御寺院様、御所蔵家の皆様の御協力で本展は実現致しました。作品の殆どが初めて公開されるものであります。
 図らずも、日本禅宗の三中興祖師、曹洞宗の卍山道白、黄檗宗の高泉性潡、臨済宗の白隠慧鶴禅師の墨蹟も一壁面に並ぶ事となりました。勝縁であろうと存じます。
 関係各位には甚深に御礼申し上げま
す。

                          信陽美術研究會
                          事務局 塩尻市塩尻町440-9(偕學舎)

                                      TEL.0263(54)5441

会長    徳山 頼正
顧問    林 新一郎
研究主査  塚本  誠
総務    青木 茂夫

現在の新潟県出雲崎町の全久院
展示作品
番号  一   第三十四世        雪巌棟門
[     ?    -明治八年(1875)]
 龍峰臥雲禅師の法嗣。長興寺(長岡市)より入院。雪巖禪師については、直接その傳を語る資料を未だ得ていない。しかし乍ら長禄寺(須賀川市)、瑞龍寺(高岡市)、豪徳寺(世田谷区)等錚々たる名刹を歴住している処からして、その時の第一流の禪者であったことは間違いない。
「禁葷酒碑拓(部分)」    所蔵 鬼弥庵文庫
※原碑は萬年山金松寺(松本市梓川)山門前の物で本邦屈指の禁葷酒碑である。
(総高約4m)

番号  ニ   参考出品        高泉性潡    
[寛永十年(1633)-元禄八年(1695)]
 明・福州の人。慧門如沛禅師の法嗣。隠元禅師の招きで来朝。献珠寺(金沢市)、仏国寺(開山・京都市)、万福寺(宇治市)を歴住。黄檗山中興の祖とされる。大円広慧国師。
「置字」    所蔵 某家

敕下伝
聞 六
国清 
黄檗高泉
高泉禅師は鉄心道印禅師に偈を寄せて「鉄心老宿本ヨリ無心ナルモ、洞下当今第一ノ人、徳臘倶ニ尊クシテ誰カ仰ガザルヤ、新豊一曲ノ調ベ猶新ナルガゴトシ」と述べている。

番号  三   参考出品        白隠慧鶴   
[貞享二年(16851593) -明和六年(1769)]  
 駿河の人。近世臨済宗中興の祖としてあまりにも著名であって、現在の本邦臨済宗の法系は全て同禅師に連なると言う。道鏡慧端禅師<正受庵(飯山市)開祖>により大悟徹底し、応燈関<大応国師、大燈国師、関山慧玄(信濃の人)>の法脈を嗣いだ。慧光院(松本市)で具足戒を受けようと考えた事がある。
「名号」    所蔵 大友 清(松本市)
南無阿弥陀仏
※正徳三年(1713)白隠禅師は、「嘗テ鉄心ノ名ヲ聞ク、他ニ化ハ去ルト雖モ、必ズヤ遺風ノ以テ鑑トスべキヤアラン、直チニ泉州ニ向ヒ、蔭凉寺ニ挂錫ス」と、「鉄心ノ風ヲ慕」って、鉄心禅師開山の蔭凉寺に到っている。今回の両禅師の墨蹟の併陳は空前の事と思う。

番号  四   第十一世        鉄心道印   
[文録ニ年(1593) -延宝八年(1680)]  
 伯耆の人。全久院第九世天外梵舜禅師に嗣法する。大聖寺(飯山市)に初住する。次いで全久院を董す。退院後智勝院(岐阜県糸貫町)を開山する。更に天徳院(金沢市)を住持するも、事に因り退院。等覚寺(木曾郡南木曽町)開山を経て、蔭凉寺(和泉市)を開山して移り拠点とした。渡来の明僧隠元禅師と相見の際は旧知の如くであったという。
「一行書」    所蔵 宝松山西福寺(塩尻市下西条)
行短内心非賢
山陰鉄心書
※残されている歴代禅師墨蹟中最古のものである。のみならず現在知られている唯一の遺墨である。

番号  五   第十五世        丹嶺祖衷    
[寛永元年(1624) -宝永七年(1710)]  
 若州の人。月嘯虎白禅師の嗣。発心寺(小浜市)、芳春寺(福井県美浜町)を住持。後に萬福寺(宇治市)に木庵禅師の結制、蔭凉寺(和泉市)に鉄心禅師の結制において助化する。霊水寺(滋賀県米原町)を経て全久院に入る。次いで宝円寺(金沢市)に視篆する。退董して慈徳寺(京都府・廃寺)、法華寺(京都府・合寺)の開山となり拠点とした。広福寺(大阪府能勢町)、蔭凉寺(京都府八木町)の開山にも請せられる。法華寺の山号に因み大陽開祖、大陽老人と尊称された。
「頂相自賛」    所蔵 霊亀山東雲寺(三重県津市)
一塵飛蔵天
一芥落露地
一筆点紙上
長為我影像
  庚寅仲春
        丹嶺八十七歳
                書
※法嗣拈華実参禅師の需によるもの。示寂直前の書と考えられる。

番号  六   参考出品        卍山道白  
[寛永十三年(1636) -正徳五年(1715)]  
 備後の人。月舟宗胡禅師の嗣。月舟禅師と共に曹洞宗中興の祖とされ、月卍両祖と尊称される。大乗寺(金沢市)、禅定寺(宇治田原町)、興禅寺(大阪市)と師席を董し、源光庵(京都市)を開いた。法嗣三十八禅師を数え一大流派となっている。一師印証を唱えた宗統復古運動に挺身し、復古老人と号した。「鷹峰卍山和尚広録 四十九巻」がある。
小品「元日詠歌」    所蔵 某家
 不老門前日月遅と
 いふ心越     
   月も日もおそくめくりて
    けふこそハ老せぬ門に
 松風そふく     
甲午元日     
   卍山書
※丹嶺禅師が加州宝円寺に視篆した年、卍山禅師は師月舟禅師の後を襲い加州大乗寺の席を董した。丹嶺禅師は卍山禅師より一回り年長であるが、道友として親密であった。丹嶺禅師が退山して京師に赴く時、「頭上ハ枷ヲ脱シ脚ハ絲ヲ断ズ、羅籠ニ住セズ衣ヲ払ヒテ之(ユ)ク、今ヨリ護国山(宝円寺)ノ前路、松枝ヲシテ北ニ向カフノ時ヲ待タシム」の偈を呈して南遊を送った。丹嶺、卍山両禅師の併陳も空前の事と思う。猶、全久院二十一世極即証禅師も参じており、自状に「大宗師」と記している。「甲午」は示寂前年の正徳四年(1714)。

番号  七  第十五世   湛元自澄(自脱牌)  
[慶長十五年(1610) -元禄五年(1699)]  
 本貫を欠く。丹嶺禅師の後を承けて芳春寺(福井県美浜町)を住持した。住山中に龍泉寺(越前市)に輪住する。次いで全久院に入院した。退院後、智勝院(岐阜県糸貫町)監住を経て皓台寺(長崎市)を董した。松心院、聯燈院、海蔵庵(共に不詳)を開山したと伝えられる。「日域洞上諸祖伝」(※出品)を著している事でよく知られている。
「釈迦出山図画賛」    所蔵 黄梅山栽松院(長野市問御所)
誓度迷津軽乗金輪蓬頭
垢面雪苦霜辛特地去 
山出全身混入塵甚深  
慈意恰如海一滴酬恩  
有幾人            
  西阜桑門湛元敬画讃 

番号  八   第二十一世        明極即証    
[貞享元年(1684)―明和四年(1767)]
 尾張の人。玄峰伝旨禅師により受業。惟慧道定,卍山道白、雲山愚白、徳翁良高、実巌性果、性泉禅瑞、天巌祖暁等の禅師に参じ、実巌性果禅師の法を嗣ぐ。久岑寺(名古屋市)に初住。霊鷲院(愛知県日進町)を経て入院。在院中に龍渓院(岡崎市)に輪住。又「全久院歴代伝」を著した。「松本市史(1932)」には松本時代の第一祖としてある(原史料不詳)事からして、叢席の基をなしたと考えられる。退院後,雲興寺(瀬戸市)、永澤寺(三田市)を歴住した。老臥遊は号。
「龍天軸」      所蔵 鳳凰山高龍寺(山梨県北杜市)
龍天護法善神
奉請   老臥遊
白山妙理権現
※修行に出立する弟子に佛道成就と無事を祈って持たせた物。松本時代禅師中の現存最古の墨蹟。

番号  九   第二十一世        明極即証    
略伝は、出品番号八番を参照。
「一行書」      所蔵 某家
一帯雲
  老臥遊書
番号  九 (追加)  第二十ニ世        是妙不伝   
[元禄十三年(1700)ー 宝暦三年(1753)]
 江戸の人。幼時父母を喪い祖父により奥州白河で育てられる。桂嶽禅林禅師に業を受け従う。無得良悟、天巌祖暁等の禅師に参じた後、衡巓崇松禅師に嗣法した。三ヶ寺を各々短期住して入院し、以来禅風を震って全久院をして叢林とした。頑極官慶禅師は「信(州)ノ駿ハ追フテモ及バズ」と評している。
「坐禅法語」      所蔵 某家
番号  十   第ニ十三世        大店鰲雪    
[宝永元年(1704)ー安永七年(1778)]
 長門の人。無徳良悟他多くの禅師に参じ,高外全国禅師の法を嗣いだ。班宗寺(福島県西郷町)に初住。養樹寺(町田市)を経て入院。各地の結制に赴き、在院中は宝暦四年(1754)に霊松寺(大町市)開祖実峰良秀禅師三百五十遠諱に拝請せられ、宝暦九年(1759)には大澤寺(大町市)永年曇壽禪師の冬安居で開法している。後に永澤寺(三田市)、光明寺(韮崎市)を歴住。神蔵寺(名古屋市)を開山している。
「達磨図画賛」    所蔵 霊亀山東雲寺(三重県津市)
西来閑道舌端波
瞞却梁王蛇足多
闔国人追曾不顧
徒浮蘆葉渡江過
永澤大店画題

番号  十一   第ニ十四世        田翁耕園    
[正徳四年(1714)-天明元年(1781)]
 相州の人。月堂群耕禅師により剃髪、後嗣法する。若年にして碧眼録、従容録、唐詩等を講じたが、文字を棄てて禅林を巡り遠くは九州まで尋師訪道した。泉蔵寺(町田市)に初住し香積寺(関市)を経て全久の法席を董した。光悌侯より中興の称を受ける。智勝院(岐阜県糸貫町)を兼住。
「二祖図賛」     所蔵 泉長寺(茅野市金沢)
雪立不休自心錯 
求断臂端的虚空 
點頭   噫     
衝天志気難蔵處脳
後神光輝四海   
  仙寿田翁叟敬賛

番号  十二   第ニ十四世        田翁耕園    
略伝は、出品番号十一番を参照。
「頂相自賛」     所蔵 泉長寺(茅野市金沢)
是箇風顛漢灰頭不出塵
土面未淋垢与世絶群倫
拈起亀毛払忽爾彰玄身
見全長老図需賛  吐露
人天何直銭   関    
  明和九壬辰孟秋吉烏    
  前永平現全久園田翁叟自題

番号  十三   第ニ十四世        田翁耕園    
「三幅対書」     所蔵 泉長寺(茅野市金沢)
略伝は、出品番号十一番を参照
  
枯枝頭上雪
一點梅華蘂
不待太陽春

番号  十四   第ニ十五世        提山見全    
[寛保元年(1741)-寛政七年(1795)]
 信濃の人(諏訪郡上桑原村)。頼岳寺(茅野市)佛海性見禅師により祝髪。卍海宗珊、逆水洞流等の禅師に参じた後、旃檀林に学ぶ。天海董元禅師に随待の後、田翁耕園禅師に嗣法した。全久院鑑住の後、頼岳寺を住持。福寿院(茅野市)二世、泉長寺(茅野市)、永久寺(諏訪市)、瑞雲寺(諏訪郡富士見町)各開山。田翁師を承けて入院。智勝院(岐阜県糸貫町)に遷住した。

「頂相自賛」     所蔵 泉長寺(茅野市金沢)
點開一箇絶踈親 不自不他喚作眞
諸相元来非相處 虚空□跳露玄身

燈々讀焔家門室 誰識主中是主人
台峯長老圖余陋質請賛書以塞其需
安永五龍次庚子中冬吉烏
前永平現頼岳見全叟自題

番号  十五   第ニ十五世        提山見全    
略伝は、出品番号十四番を参照。
「一行書」     所蔵 泉長寺(茅野市金沢)
鳥飛如鳥

番号 十六   第二十六世        海外亮天    
[享保11年(1726)‐寛政11年(1799)]
 長門の人。大實藏海禅師の法嗣。長泉寺(京都府和知町)、笑山寺(下関市)を歴住し、全久院に入院。法華寺(大阪市)に退居。 
 「達磨図画賛」     所蔵 霊亀山東雲寺(三重県津市)
咏東土月
忘故郷春
驚起雁聲
急回西津
    亮天画題

番号 十七   第二十七世        瑞岡珍牛    
[寛保3年(1743)‐文政4年(1821)]
 肥後の人。海外亮天禅師(全久院二十六世)の法を嗣ぐ。妙音寺(下関市)、観音寺(熊本県五和町)、東向寺(本渡市)を歴住の後全久院に入る。次いで龍泰寺(関市)、法華寺(大阪市)を董す。江戸から奥州を巡った後吉祥寺(文京区)
師家を経て、尾張公の招請により萬松寺(名古屋市)を住持する。同寺に慶雲軒が創られ隠棲し示寂した。「訂補建撕記図会」(※出品三十七)上梓の中心となり、「永平道元禅師行状図会」を刊行した。懶野牛は謙称。
 「一行書」     所蔵 宝松山西福寺(塩尻市下西條)
鼓琴和清風    
懶野牛書

番号 十八   第二十七世        瑞岡珍牛    
 略伝は、出品番号十七を参照。
 「初平仙人図賛」     所蔵  鳳凰山高龍寺(山梨県北杜市)
金華山裏老仙神表   
風流誰耐傳叱石擧笞羊
自躍更知変態得無邊 
       懶野牛題
                         蘭洲寫   
※画家蘭洲は不詳。

番号 十九   第二十八世        佛海天龍    
[寛保3年(1743)‐文政4年(1821)]
 長門の人。曇瑞禪苗禪師に随持し法を嗣ぐ。大通寺(群馬県新田氏)を董した後、全久院を住持。退院後、靈運寺(東村山市)、妙法寺(大阪府豊能町)、凈住寺(金沢市)、光嚴寺(富山市)を経て大乘寺(金沢市)に喬遷した。
 「龍  大字」     所蔵  鳳凰山高龍寺(山梨県北杜市)

    天龍書

番号  二十   第二十九世        提宗元綱    
[宝暦三年(1753)-文政(1818)]
 越後の人。寛田大広禅師の法を嗣ぐ。詳しい伝を欠くが大覚素童禅師他多くの法嗣を打出した。竹林寺(上越市)
から入院のようである。昌徳院(静岡県修善寺町)の開山となっている。
「龍 置字」   所蔵 霊亀山東雲寺(三重県津市)

   日献四海
   水
   元綱

番号 二十一   第三十世        大覚素童    
[安永四年(1775-天保二年(1831)]
 江州の人。提宗元綱禅師(全久院二十九世)の法嗣。竹林寺(上越市)より入院。退董して大光院(名古屋市)へ遷住。淵静寺(下伊那郡喬木村)、長全寺(名古屋市)各開山。昌徳院(静岡県修善寺町)二世。
「円鏡図賛」    所蔵 霊亀山東雲寺(三重県津市)
曾刋虚空為祖園
更開不二法王門
誰知獅座幾多少
前後三々満一坤
 文政十年(1827)の結制の時に作られた。衆僧七十四員の名がある。このような多人数の結制は稀であるという。

番号  二十ニ   第三十世        大覚素童    
 略伝は、出品番号二十一を参照。
「二字横幅」    所蔵 鬼弥庵文庫
慎獨
大貮書
大貮は号。

番号 二十三   第三十一世        無学頓了    
[明和五年(1768)-弘化四年(1847)]
 出羽の人。一頓慧了禅師を嗣ぐ。福昌寺(山形県朝日町)住持わ経て入院。退院後智勝院(岐阜県糸貫町)に移る。大聖寺(岩倉市)開山。
「ニ行書」    所蔵 黄梅山栽松院(長野市問御所)
心    外    無    別    法
勅特賜紫沙門伝法師初祖頓了
満    目    自    青    山

番号  二十四   第三十二世        雲生洞門    
[寛政四年(1792)-安政五年(1858)
 越後の人。広雲瑞明禅師により受業し、同禅師の法を嗣ぐ。廓壽恵然、提宗元綱等の禅師に参髄した。龍泉寺(島根県三朝町)住持、大覚素童禅師の助化、松屋院(名古屋市)住持を経て,全久院に入る。後、天徳院(金沢市)に遷住する。前山寺(松本市・廃寺)、長泉院(塩尻市)、延命寺(愛知県豊山町)各開山。法嗣の大薩祖梁禅師は全久院の叢席について「憶フニ是レ扶桑第一」としている。金龍は天徳院の山号。
「頂相自賛」    所蔵 秀永山長泉院(塩尻市日出塩)
驢前馬後百商量
親口親言雪上霜
慙愧面皮争顧己
一盲既是牽百盲
 嘉永六丑孟夏日
     金龍洞門自賛
 ※本頂相は加賀天徳院に転じていた洞門禅師より、開山地長泉院に贈られたものである。天徳院出入りの絵師は当然の事として天徳院仕様のお袈裟(世間衣=環、房付き)着用の図を描いたのであったが、古規則衣(環、房無し)派であった洞門禅師は直ちに環、房を削らせて着賛した。その痕が歴然としている。洞門禅師の矜持を示す遺品。

番号  二十五   第三十二世        雲生洞門   
略伝は、出品番号二十四を参照
「二行書(観音経の一節)」    所蔵 聊留庵文庫(岡谷市)
慈眼視衆生
福壽海無量
全久洞門敬書

番号  二十六   第三十二世        雲生洞門     
 略伝は、出品番号二十四を参照。
「一行書」     所蔵 鬼弥庵文庫
幾家人上楼
   全久洞門書

番号  二十七   第三十三世        吉丈足雲    
[寛政八年(1796) -慶応元年(1865)]
 越後の人。獨掌道鳴禅師の法を嗣ぎ、清凉寺(彦根市)に分座演法する。願成寺(滋賀県蒲生町)を首先住持。中興とされる。次いで洞門禅師の後を承けて全久の席を嗣ぐ。退院の後龍泰寺を董した。
「一行書(碧眼録中の語)」    所蔵 某家
為君幾下蒼龍窟
  全久吉丈

番号  二十八  第三十三世        吉丈足雲    
略伝は、出品番号二十七を参照
「置字(宝鑑三昧中の語)」    所蔵 鬼弥庵文庫

但能相続
名主中主
  全久吉丈書

番号  二十九   第三十四世        雪巌棟門    
略伝は、出品番号一を参照
「二行書」    所蔵 鬼弥庵文庫
萬般存此道一味
信前縁  全久雪巌書

番号  三十   第三十五世        巨海意龍   
[    ?   -明治十九年(1886)
 越後の人。煩海筏舟禅師の法を承ける。養泉寺(新潟県加地村)から入院。松本仙壽山全久院最後の住持。行録については既に冒頭の『「仙壽山全久院歴代墨蹟展」について』で述べた。
「達磨図賛」    所蔵 黄梅山栽松院(長野市問御所)
西天名月
東土清風
師祖面目
十方玲瓏
         全久意龍拝書
※画家は狩野派百瀬探民斎守穀(モリヨシ)。東筑摩郡下和田村(現松本市和田)の人。
 巨海意龍禅師頂相(新潟県出雲崎町全久院)

番号  三十一   参考出品        永年曇壽(丹嶺禅師法孫)  
[元禄十五年(1702) -安永五年(1776)]
 若州の人。円山素明禅師の嗣。棟岳寺(福井県今庄町)に初住。次いで大澤寺(大町市)を董す。退董後東陽院(大町市・廃寺)を中興して隠棲。宝暦九年(1759)に大店鰲雪禅師を冬安居に請している。
「大陽開祖警策」    所蔵 某家
※十五世丹嶺祖衷禅師戒語

番号  三十ニ   参考出品        千丈実巌(丹嶺禅師法孫)  
[享保六年(1721) -享和二年(1802)]
 近江の人。拈華実参禅師の嗣。龍光院(亀山市)に初住。永年曇壽禅師を承けて大澤寺(大町市)に移る。次いで長国寺(長野市)に転じた。来信以前から文章家として一家をなしており,「幽谷余韻」(前編・後編三十巻)が松代藩家老鎌原桐山により刊行された。
「達磨図画賛」    所蔵 某家
 我本来茲  
 土伝法救迷
 情一華開五
   葉結果自然成 
         千丈拝写

番号  三十三   参考出品        覚巌実明(丹嶺禅師下七世) 
[寛政五年(1793) -安政四年(1857)]
 京都の人。守巌初一禅師の法を嗣ぐ。西教寺(神戸市)他を住持。妙壽寺(大阪市)、福昌寺(神戸市)開祖。後長国寺(長野市)に移る。円通寺(長野市)開山
「達磨図画賛」   所蔵 某家
一華開五葉
  結果自然成  
       長国巌       

番号  三十四   参考出        玉翁達
[文政五年(1822) -明治37年(1904)]
越中の人。俗姓安達氏。達元智翁禅師の法嗣。極楽寺(岡山県久世町)、徳聖寺(井原市)、慶安寺(杉並区)を歴住し、曹洞宗信州初開道場霊松寺(大町市)を董す。慶応ニ年(1866)には大本山総持寺如意庵に輪住している。「廃仏毀釈」の際の藩に対する抵抗の話は殆ど伝説的である。曹洞宗の元老的存在であった。全久院(=青龍山・松本市)、金松寺(松本市)、生安寺(松本市)各二世(実質開山)。自性院(松本市)、龍昌寺(松本市)の各開山
「一行書」    所蔵 鬼弥庵文庫
人 間 万 事 塞 翁 馬  
将八十翁明妙道人 

禅籍他
番号  三十五   第十五世   湛元自澄(自脱牌)
略伝は、出品番号七を参照
「日域洞上諸祖伝(二巻)」    所蔵 宝松山西福寺(塩尻市下西條)
元禄七年(1694)刊。七十師の伝を編纂した本邦初の曹洞宗諸師伝記集。希覯本

番号  三十六   第二十ニ世  是妙不伝
[略伝は、出品番号九(追加)を参照
「写本<不伝大和尚開示>」    所蔵 某家

番号  三十七   第二十七世   瑞岡珍牛
略伝は、出品番号十七を参照
「訂補建撕記図会」    所蔵 宝松山西福寺(塩尻市下西條)

番号  三十八   参考出品        千丈実巌(丹嶺禅師法孫)
略伝は、出品番号三十二を参照
「幽谷余韻」    所蔵 宝松山西福寺(塩尻市下西條)
全三十巻。全巻揃っているものは稀である。

番号  三十九   参考資料        
仙壽山全久院伝来「三宝印々影」
    所蔵 仙壽山全久院(新潟県出雲崎町)

番号  四十   参考出品        戸田光則侯
松本藩最後の藩主。
「一行書」    所蔵 某家
治気養神
竹斎 松平光則