相対論と進化論
20世紀の学問として注目されたのが相対論と進化論である。共にキリスト教的世
界観の変更を強いていた。20世紀を生きる大多数の科学者にとって相対論も進化
論も、もはや議論の余地のない原理・真実であるが、その理解の仕方は様々である。
一般の人々にとっては、もう言うまでもない。相対論も進化論もキリスト教へのア
ンチテーゼであることを始めに理解すべきだろう。さもないと、疑似科学の虚論以
外ではなくなる。


進化論  生物のそれぞれの種は神によって個別に創造されたものではなく、きわ
       めて簡単な原始生物から進化(変化)してきたものであるという説。
                          (国語辞典)
      

相対論  あらゆる自然法則は互いに運動するあらゆる座標系で平等に成立すると
       する説。                 (科学辞典)

ともにキリスト教的な神を否定する。

ダーウインやアインシュタインはこれらの説(原理)に対して独特な自論を展開し
た。進化という現象をダーウイニズムで上手に説明できる場合もあるし、まったく
できない場合もある。しかしこれは進化論は間違っているとかダーウイニズムは誤
りだという意味ではない。相対論に関しても同じ事が言える。仮にも科学を論じて
いる人々ならば、上に述べたような進化論や相対論とは、そもそもの議論の出発点
であり「進化論は間違っている。」 とか「相対論は誤りだ。」などとは口が裂け
ても言えない筈である。進化論を論じる場合には「進化」という現象の存在を前提
にして議論するのである。そこで議論するのは、「生物はいかにして進化(変化)
してきたか。」であり、「生物の歴史、過去の生物の有様とはどのようなものであ
ったか。」である。
「神はこの自然と生物と人間を創ったか、否か。」ではない。科学者とは宗教論争
には参加しないのである。それで科学者とは「あなたは神を信じますか。」の問い
には、「はい信じます。私は神は実在すると思います。」と答え、「あなたは進化
論を信じますか。」 なる問いには、「いえ、私は進化論は誤りだと信じます。」
と答えるのである。それら答えの意味は科学者のみぞ知る。(西洋での話。)

 
神社の境内に大きな杉の木があるとしよう。高さ30メートル、直径2メートルも
ある堂々とした巨木である。

「このような巨木も200年前には小さな杉の木だった。300年前には高さ10
センチメートルに満たない雑草のような木であった。だんだん成長して現在のよう
な巨木になったのである。」
 
進化論とはこのような説である。そしていつ頃に種(たね)から芽がでて、その種
(たね)はどこから飛んできて、いつ頃には高さ10メートルになったか。あの太
い枝はいつ頃あのように曲がったか、なぜあのように曲がったか、なぜこの杉だけ
が巨木になったか、などを各自で論じているのが進化学者である。彼らの説には間
違いも多かろう。100年前の杉の木の姿、「正確に高さは何メートル、太さ何セ
ンチ。」 と推測することも難しい。推測できたとしても正確な真実からは遠いだ
ろう。5ー6歳の子供に「この杉の木もずっと昔は小さかったんだ。あやちゃんが
踏み倒せるくらいちいさかったんだよ。」 といくら説明しても信じては貰えない
だろう。無論、無理して信じて貰う必要はない。


相対論とは自然現象も見方によっては違って見えるとする説である。そしてあらゆ
る立場(観測系)が互いに、対等で、自立して、同一の自然法則を持つとする説で
ある。アインシュタインは光速の普遍を仮定することにより、すべての観測系でこ
の法則「相対性の法則」が成立することを示したのである。光速の普遍を仮定しな
くても「相対性の法則」が成立することを示すことができれば、そして様々な観測
や実験結果を説明することができれば、そしてその理論が技術的(実用的)な成功
をおさめれば、それはより優れた相対性原理と言えよう。まさに原理と呼ぶにふさ
わしい。またそのような主張とは相対論に反する議論ではなく、逆に相対論を前提
にした議論である。「ダーウイニズムで全ての進化現象は説明できませんよ。神社
の巨木になった杉は生命力が強くて残ったのではなく、たまたま子供に踏み潰され
なかっただけの理由でしょう。強者必勝・適者生存・自然淘汰だけが進化論ではあ
りません。」とする主張と同類である。

相対論では観察者(観察系)によって速度や時間、長さ、質量までもが異なると主
張する。(光速を普遍と仮定することにより時間や長さ・質量までも相対的な量に
なった。) 即ち絶対的な量は存在しないことになる。その関係とは互いに相対的
であって、互いに対等である。座標系AとBがあったとし、AとBが光速に近い速
度で動いているとしたら、AからBを見れば、Bの長さはちじみ、Bの時間は遅れ、
Bの質量は増加する。勿論Bから見ればそのような現象は起こっていない。逆にB
からAを見れば、Aの長さがちじみ、Aの時間は遅れ、Aの質量は増加しているの
である。
これをどのように理解するかが相対論解明の鍵である。実際にそのような現象が起
こるのか、それとも、そのように「見える」だけなのか。光速を普遍としなければ
相対性原理は成立しえないのかどうか。

なお時間と空間(長さ・距離)は互いに関係した量である。質量も運動エネルギー
を媒介させれば時間や空間の量と関係してくる。従って同じ現象を説明(記述)す
るにも、「時間が遅れた」 「空間がちじんだ」 「質量が増加した」 と表現し
てもさしつかえない。同じ現象を異なった言語で述べているだけである。

自宅から駅まで8キロメートルあったとしよう。徒歩では2時間かかる。この現象
を次のようにいうことができる。「私の国ではあなたの国の8キロメートルとは1
2キロメーターです。私の国では一日を12時間としていますので、あなたの国の
時計の2時間とは私の時計では1時間です。それで自宅から駅まで徒歩で一時間か
かります。私は12キロメーターを1時間で歩いたのです。しかしあなたの国の巻
尺と時計を使ってあなたが測定すれば私は8キロメートルを2時間で歩いたと言う
かもしれませんね。」 

時間や空間、質量を相対化する理論とは、その意味を考えずに誤用すると矛盾だら
けの理論となる。多くの相対論解説書(通俗書)ではそのような誤りを犯している。
その結果ありえないことが起こり凡人には理解できない。信者だけが信じることが
できる。私はアインシュタインの相対論を理解しているとおっしゃる方々、信じて
いるだけではありませんか。難解な数式を読み解くと、不思議不思議、信じただけ
なことを理解したと思い込むのです。聖書も昔は理解できないラテン語で書かれ、
皆がそのままを信じたのでした。仏典も難解な漢語(古語)で書かれたものを信者
は学びます。信じる為にだけに学びます。何か不都合があると、 「聖書にこう書
いてあります。」 とか 「仏典によると」 と言って、話を終わりにします。

それともあなたは裸の大様でしょうか。


アインシュタインの相対性原理(光速普遍の法則)から導かれる矛盾

ここでは「アインシュタインの相対性原理」ではなく、「アインシュタイン信者の
相対性原理」とします。キリストやブッタの教えと、その信者の主張とでは大きな
隔たりがあることでしょう。

A  宇宙旅行のパラドックス

   ロケット(宇宙船)で40光年離れた恒星まで宇宙を旅行する場合を考える。
   光速(30万q/秒)でも40年かかる筈である。光速の4/5(24万q
   /秒)では50年かかる筈だが、信者は時間の遅れ(又はローレンツ収縮)に
   よって光速の4/5のロケットで行けば30年で行ける主張する。宇宙船から
   見れば、50年とは30年であり、且つ(又は)、40光年とは24光年であ
   ると主張する。これが詭弁であることはまともな知性がある者には明らかであ
   ろう。
   確かにアインシュタインの相対性原理によれば、地球ー恒星系から見た40光
   年は宇宙船から見れば24光年である。しかし同時に、地球ー恒星系から見れ
   ば宇宙船自体が3/5に収縮している筈であり、宇宙船が24光年飛行したと
   思っている距離も3/5に収縮しているのである。宇宙船が40光年飛行した
   距離とは地球ー恒星系から見る限り24光年だけの距離である。宇宙船から見
   て66.6光年飛行して初めて地球ー恒星系から見て40光年飛行したことに
   なる。結局53年程かかる計算ではないか。観測者によって飛行時間は変わっ
   てしまうのである。パラドックスは少しも解消しない。

B  双子のパラドックス

   同じ年齢の兄弟(双子)の一方(兄)が生まれてすぐに宇宙船で40光年離れ
   た恒星まで旅行して帰ってきたとする。光速の4/5で飛行して往復60年で
   帰ってきたとすると、兄は60歳、地球に残った弟は100歳になっているこ
   とがアインシュタインの特殊相対性理論から導かれる。ところが運動とは相対
   的であるから、宇宙船から見れば地球が光速の4/5で遠ざかり再び戻ってき
   たわけで、兄が100歳、弟は60歳になっている筈であり矛盾する....
   というのが双子のパラドックスであるが、信者は次のように主張する。

   宇宙船に乗って恒星まで行った兄には大きな加速度がかかっている筈であり、
   兄と弟は物理的に異なった環境にあった。従って両者は同一とは見なせない。
   加速度系では時間が遅れることが一般相対性理論から証明されており、この場
   合には兄が60歳、弟は100歳になるというのが正しい と。従って矛盾は
   生じない と。

   このような理屈を素直に信じるのが信者の信者たるゆえんであろうが、このよ
   うに説く相対論の説教者とは詐欺師なのであろうか。いつのまにか特殊相対性
   理論と一般相対性理論を混同させている。宇宙船には加速するときにだけ加速
   度がかかるわけであり、通常は無重力状態の筈である。一方地球では常にGと
   いう加速度(重力)がかかっている筈であり、どちらが強い加速度系に長時間
   置かれていたか、そのような考察はまったく行われない。またどの程度強い加
   速度系(重力場)でどの程度の時間の遅れが生じるかもまったく論じられない。
   加速度Gでは無重力状態(即ち加速度ゼロ)に比較してどの程度の時間の遅れ
   という現象が生じるのか、まったく論じられないのである。兄が弟よりも若か
   ったとしたら、それは強い加速度系では時間が遅れるという一般相対性理論の
   効果の結果であり、特殊相対性理論の時間の遅れ効果などをいくら計算しても
   意味はない筈である。
    では宇宙船が加速度Gの等加速度航法を採用したらどうなるのだろうか。減
   速もマイナスGで減速するとしよう。宇宙船はずっと地球の弟と同じ物理的環
   境に置かれるが、そしたら、宇宙線の影響で兄は歳を取らないとでも言うのだ
   ろうか。定加速度・超高速宇宙船で宇宙旅行
   双子のパラドックスはまったく解消していない。
   このような相対論解説書の議論とは巷のエセ宗教書並である。

   なお加速度系(重力場と同等)では原子時計が遅れるそうである。自動巻の腕
   時計を1分ほど強く振ってみたことはあるだろうか。その時計は2ー3秒進む
   のである。振子時計も重力が強くなると進む。水晶時計は振ったくらいでは2
   ー3秒/分の狂いはでないが温度の差では僅かに進んだり遅れたりする。この
   ような物理的環境による時計の狂いを「時間が遅れた。」とこじつけるあたり
   はさすがである。(勿論原子時計以上の精度を持つ時計を我々は持っていない
   のであるから、原子時計の遅れを時間の遅れと見なすのが誤りだとはいいきれ
   ない。無理ないと言える。強い加速度系では素粒子の寿命も伸びるだろう。人
   口衛星(無重力)での原子時計の狂いはどの程度なんだろうか。ミールには原
   子時計が積んであるのだろうか。


C  強い重力場では光が曲がるという話
   一般相対性理論の正しさの証明として、日食時に太陽の裏側にある筈の恒星
   が観測されるという現象がある。重力により光が曲がる現象はそのほかにも
   観測されている。ここにはパラドックスはない。しかし通常は波動が曲がれ
   ば、そこでその波動の速さが変化したと見なすのが普通である。光もガラス
   や水などように光速が遅れる媒質に入るとその方向に曲がるのである。重力
   場では同じ真空中であっても光の速さは減少すると考える方が遥かに自然で
   はないだろうか。勿論、光速が減少したのではなくてそこの時間が遅れたの
   である、その結果光速が遅れたように見えるのだと言っても同じことである
   のだが、素直でないような気がしませんか。


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