サイエンス

サイエンス・ ガーデン  



ここは科学・技術のページです。
                         1/9 2001更新                                 

新相対性理論アインシュタインの相対論を論じる。
        エーテルの存在を認め、光速普遍の法則を否定する異端論。

目次

  • はじめに (科学の果樹園)
  • フランスの核実験開始。もんじゅ送電成功。              
  • もんじゅの致命的事故               
  • 東海地震情報     
  • 井戸の水は夏は冷たくて冬は暖かい          
  • 電気自動車の欠点      
  • 皆さーん デマに迷わされてはいけません。 9/9 1997
  • 「地震ナマズ出現予定表 今後100年間」 5/15 1998 
  • ハイブリッド車 プリウス の実力    7/9 1998        
  • 化学分析と分析化学の差異        11/4 1998    
  • リンゴ果汁のナトリウム定量  11/4 1998 
  • ピラミッドは王墓か         12/10 1998    
  • ピラミッドの謎  12/16 1998               
  • 天才少女  1/14 1999           
  • クーロン人間               8/8 1999    
  • 臨界を越えた事故  10/6 1999 
  • 限界も越えた事故  10/6 1999 
  • 夜空に輝くお星様を叩き落とそう  6/9 2000
  • 禁じられた質問           1/3 2001     
  • 世界の論争・ビッグバンはあったか     1/9 2001           ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー                         目次終了 禁じられた果実へ

    はじめに 科学の果樹園

    1800年までの科学といえば、まるで果樹園のようなものだった。それは、よく 耕され、手入れされ、整理されて、香り高く、枝もたわわに実をつけていた。あちら こちらを見ながら、隅から隅まで散歩することもできた。近くの丘に登れば、全体の 様子を眺め鑑賞することもできたろう。  しかし、1800年頃になると、人々があまりせっせと木を植え、手入れをし、耕 したために、散歩している人たちは、果樹園の一部が暗く生いしげり薄気味悪くなっ てきたことに気がついた。それでもまだきちんとしてはいた。それどころか、こみい った網の目のような関係は、それまでにもまして磨きをかけられ、繊細になり、魅力 を増していた。だが、生い茂る枝は空を隠し始めていたのだ。  やがて、果樹園が広すぎることに気づいて愕然とする時が来た。もう隅から隅まで 通り抜けることはできなかった。人々は道に迷ったり、ぐるりとまわって元の場所に 戻ってきてしまったりするのだった。近くの丘も、もう役には立たなかった。そこに も、今では果樹園に蔽われていたのだ。  見物の人たち、きちんとした美しさが好きな人たちの中には、果樹園をすっかり見 限ってしまうものもあった。が、その他の人たちは、あきらめて果樹園の狭い場所だ けで満足し、やがて、もっと狭い場所へ、もっと狭い場所へ、と閉じこもっていった。 今日では、科学という果樹園は、地球をとり巻く巨大な怪物となり、そこには一枚の 地図もなく、誰も道を知らない。それどころか、世界中の有能な科学者が、よってた かって手探りしているのである。その中にあって、見物人たちは、それぞれ勝手のわ かった、お気に入りの茂みに、思い思いにしがみついている。たまに別のところを眺 めても、そのたびに気がとがめるような溜め息をもらすのである。                    1963 Issac Asimov    そして、1997年。 昔は科学の果樹園と呼ばれた密林を、私はさまよって、見知らぬ果実をかじってお ります。

    フランスの核実験開始。もんじゅ送電成功

          原子力エネルギーにバラ色の夢をみているのが大多数の人々である。(あった)。 私自身「原子爆弾」は一発で一つの都市を消滅させて戦争を終わらせることのできる 「素晴らしい爆弾」というイメージを持っていた。戦闘機やミサイル、機関銃による 血まみれの戦争よりずっときれいで人間的な科学の兵器と思っていたのである。宇宙 戦鑑ヤマトの波動胞みたいに。それで本屋で「はだしのゲン」を読んだときには涙が 流れてブルブル震えた。日本人でありながら今までこんなことを知らなかったとは、 と不思議だった。「はだしのゲン」とは被爆後の広島をゲン少年を主人公に描いたコ ミックスだが被爆後の悲惨な描写がすごい。私はこれを何巻かヨーロッパに持ってい ってユースホステルなどに置いてこようかと思ったのだが、ソ連の入国検査では係官 は皆、目の色を変えて、結局「我が国への持ち込みはできません。」ということでみ んな没収。たかがマンガでしょうなどとは言ってくれなかった。日本人だって原爆の 真の姿は知らされていない。(学校では教えない。)ましてや中国、ソ連、フランス など海外では大統領などの指導者でさえ知らないのではないだろうか。知っていて、 それでもまだ核兵器の開発・実験・配備をしているのであれば、彼らは始めから人間 としての適性に抜けている。原子力の平和利用ー原子力発電についても、我々は利点 のみが強調されて教えられた。 「夢のエネルギー」、特に高速増殖炉は「燃料として燃やした以上の燃料を創り出す 夢の原子炉」として。原子力発電による利益(メリット)がリスクなどのマイナス面 を十分にうわまわり、且つ国民に公平に分配されれば皆賛成するだろう。反対するの は、国民の税金で開発され(国が開発する)、利益は電力会社が得る。万が一事故が あって大きな被害がでれば国が補償する。(国に責任があるとは国民に責任があると いう意味であり十分な補償はできないという意味でもある。)生命保険会社も原発事 故では保険金は支払わない。このような理由です。 PS.「はだしのゲン」を英語で出版しようという「プロジェクト・ゲン」があった    んですが第1巻を出しただけで中止と聞きました。2巻からが被爆後の悲惨な    広島が描かれるのに残念です。このような本を各国語に訳して全世界の人に読    んで貰えば、それだけで核兵器は自然消滅するのではないかと私は思います。    日本国家のプロジェクトに何故できないんでしょうか。僅かな予算をまわすだ    けで平和的にすべてがおさまるのでは、と思います。

    もんじゅの致命的事故

                   残念ながら高速増殖炉の実用化における決定的に致命的事故であると思う。冷却水や ナトリウムを漏れないようにすることがどうしてそれ程難しいのか、素人の私には解 らないが、現在の技術ではそれが不可能であることを今回の事故で証明してしまった。  冷却水漏れと違ってナトリウム漏れは発火や爆発に結び付くそうだ。今回の漏洩箇 所が蒸気発生器だったら水と混ざって爆発していたことになる。また一次冷却系のナ トリウムだったら原子炉格納器内は手が付けられない惨事となったと思う。修理不能 だろう。欧米各国にならって高速増殖炉から撤退せざるをえないだろうか。高い授業 料であって、推進派の人達をせめるべきではない。誰もこれほど難しいとは思わなか っただろう。私も実は日本の科学・技術に期待していたのです。それとも動燃は欠陥 ・無能・異常集団なのでしょうか。 世界最大のクレーンはコンテナクレーンで大きな港に据え付けられて20トンー40 トンのコンテナをコンテナトラックから貨物船へ、貨物船からコンテナトラックへと 直接・高速に移動(積み降ろし)できる。一台100億円とか。5年程前のことであ るがシンガポール港のコンテナクレーンが運転中に突然直流モーターの加熱警報が鳴 り同時に出力が半分以下に落ちてしまった。それで直流モーターのオーバーホールを したわけであるが、私は何の技術も経験も知識もないままに手伝わされることになっ た。 地上50メートルにある世界最大級の出力・大きさのモーターの故障の原因は 中心の銅線(芯)の断線(銅芯に無数の割れ目が入っていた。)であった。このよう なことはかつて起こったことはなく、モーターを作った電動機会社の技術者達は、「 信じられない。」と言ってあっけにとられていたが銅芯の割れ目を自分の目で見たら 信じざるをえなかっただろう。多量の電流と磁場、及び温度変化・加速度に曝された 銅芯は短期間でぼろぼろになってしまったのだ。理学的(物理的)には予想できない ことだった。特に放射線による金属の腐敗(疲労)を知らない技術者達には説明でき ない現象だろう。 放射線に直接曝されていたわけではない10ミリのステンの配管は破壊されナトリウ ムは漏れてしまった。溶接で繋げたのならその溶接部分は正規の部分の2ー3倍の厚 さ・強度にしたはずである。誰でも溶接部分は信頼性が落ちることは知っている。我 々は未知への挑戦に敗北したことを認めざるをえないだろう。配管をすべて分解・切 断・検査して痛みぐあいを調べなければ再開は無理だろう。他にも漏れ寸前になって いる箇所は多いはずだ。一次冷却系の配管はすでに放射能で汚染されていて、そのよ うな検査はもはや不可能ではないだろうか。(誰かが犠牲になって検査するでしょう か。) 科学者は技術者(経験を基に仕事する人々。)に技術とは何か、を教え乞う必要があ ります。世の中で通用するのは科学ではなく技術であり、失敗の経験の積み重ねの上 に技術があるので、失敗の許されない核開発に技術は存在せず、従って核開発は世の ため人のためにはなり得ず、兵器としてしか使い道ありません。敢えてそれを行おう とすれば「石橋を叩いて渡る。」慎重さが必要で経済的に合わなくなるでしょう。今 回の事故も、もし配管が2重にしてあったらこれほどみっともない事故ではなかった でしょうに、科学者(設計者)は漏れる筈はないと思ったのでしょう。

    東海地震情報

                       日本列島の太平洋沿岸地域は昔からマグネチュード 8 クラスの巨大地震が繰り返 して比較的規則的に起こっているので、地震学者にとっても研究し易く、また石油コ ンビナートなど日本の社会・経済を支えている工場や設備も密集し、人口密度も高い ので研究は進んでいると言える。しかし地震予知となるとはっきりしたことは言えな いというのが現状である。 ここではMASAによるパソコンによるシュミレーションからの地震情報を地震学者 に代わって公開する。 地震が地殻(地下の岩板)の破壊による弾性歪みエネルギーの開放の結果であること は皆の知るところとなった。それで問題となるのは毎年どのくらいのエネルギーが溜 っていくのか、どのくらいの歪みが溜ると破壊が起こり地震が発生するのか、岩板の 破壊箇所(断層)はどのような状態にあるか、その走行(向き)、傾斜(傾き)は? そんなことが解るはずはないと思うだろうが、それを解明(推定)するのが研究者で ある。  過去の地震記録(位置、マグネチュード)や地下の地震波速度などから地殻の物性 などが推定できる。それで地震断層の傾斜は45度、走行は60度、地殻の岩板の鋼 性率は3.3E11などと推定(仮定)してシュミレーションを行う。このシュミレ ーションとは古典的技法でのものではなく、現代的技法(ゲームで用いる方法)であ る。地震の方程式(理論方程式)は存在しないのでそれを模擬的に創る必要がある。 さて結論だけ述べると。 駿河湾沖の東海大地震について。西暦1600年以らいここでは2回大地震が起こっ ている。断層の年平均変位量は1.2p/Year、1605年の地震では168p の変位で地震が発生し、1854年には291pで断層が破壊されて地震が起こった。 1995年現在は165pの変位が蓄積されており、それで平均の229pの変位で 地震が起こるとすると、2049年にマグネチュード8.2の地震が起きる。168 pで地震が起こってしまうと仮定すると、1996年と2138年にマグネチュード 7.9の地震が起こる。 相模湾沖の地震について。1703年と1923年(関東大震災)に巨大地震が起こ っている。1.0p/Yearの割合で歪みは溜っており、最大209p、最小16 8pで地震が起こった。平均は188p。現在は69pの変位が生じている。平均で 地震が発生するとすると2118年にマグネチュード 8.0の地震が発生しその時 の断層の長さは163q、最小の168pで地震にむすびついたとすると、2097 年にマグネチュード7.9の地震が144qの断層を伴って発生する。 紀伊半島沖の地震について。ここでは1600年以来4回ほど巨大地震が起こってお り、2.4p/Yearの歪みが毎年溜り、現在116p溜っている。平均は234 pで地震が発生し、最大は291p、最小は168p、標準偏差は57pである。平 均で地震が発生するとすると2044年と2142年にマグネチュード8.2の地震 が206qの断層を伴って発生する。最小の168pの歪みで地震が起こるとすれば、 2016年、2086年、2156年にマグネチュード7.9の地震が起こることに なる。 このように見てくると駿河湾沖での巨大地震が切迫していると考えるのには十分な理 由があることが解ると思う。

    井戸の水は夏は冷たくて冬は暖かい

            このようなことが言われるが、本当だろうか、気のせいか、知っている人はいるだろ うか。 「地中深くの地下水の水温は1年中あまり変化がない。しかし気温はマイナス5度か らプラス30度位まで変化するので、井戸の水は夏は冷たく感じられて冬は暖かく感 じられる。」 これが模範解答だと思っている人が多いと思う。実際に温度計で測っ てみるのは小学生くらいで、「私の家の井戸水は夏は8度、冬は20度でした。」 などと言う報告をみたら先生はあきれるだろう。データの偽造だと言って零点にして しまうかもしれない。 私の住んでいる町には自噴している井戸がある。お寺の近くでとうとうと湧き出てい る。手を洗ったら暖かい。気温は5度C程度であったので夏は冷たい水も冬にはこん なに暖かく感じるものかと、「相対論」をつくづく感じた。しかし私には地下水は実 際に夏は冷たくて冬は暖かいことがあるという知識があったので、温度計で水温を測 ってみた。そしたら15度Cもあった。町中の井戸が15度Cだった。深井戸用水中 ポンプでくみ上げている井戸など17度Cもあった。夏に測ったら10度位だった記 憶がある。夏よりも5度も高い。真夏の水道の水温と同じで暖かいと感じるはずだ。  これを読んでいる大部分の方は、「そんなことはありえない。もしあったとしたら 地熱で暖まっている(即ち温泉)か、それとも原子力発電や工場の廃熱が冬に地下に 捨てられているのだろう。」を思うだろうが、そのような方は自分の自然科学の知識 の無さを自覚して欲しい。そしてどうしてそのような現象がおこるか考えて下さい。 私達の価値基準には温度計のような絶対的・客観的尺度はない。誰でもが自分の物差 しで測っている。そして他人のことを間違いだと主張する。決めつける。またはすべ てが相対的であるとか、人それぞれであるとか言う。しかし絶対的・客観的尺度を持 っていないことは、それが無いという意味ではない。温度計を持っていないというだ けで、水温とは客観的に存在して測定可能な量である。幸福と不幸、善と悪、宗教と 邪教、真と偽、途上国と先進国、文明と未開、これらの客観的尺度も存在すると思う。                                    PS.徳島県吉野川河畔の江川湧泉の水温は冬は20度C、夏は8度Cだそうです。 12/11 1995  

    電気自動車の欠点

                       電気自動車には致命的な欠点がある。暖房ができないことである。エアコンや電気 ストーブを備えれば解決すると思うだろうが、せっかく蓄電池に充電した貴重な電 気エネルギーの大半が暖房に消費されることになる。ガソリン車などはエンジンの 廃熱を使っているので暖房のためのエネルギーはいらない。氷点下以下ではエアコ ン(熱ポンプ)を暖房に用いても電気の節約にはならないだろう。 であるから今までの車に代わる電気自動車が登場すること当分はないだろう。核融 合の技術が実用化され電気料が1/3位になり、またバッテリーの性能も現在の3 倍位になるまでは、電気自動車とは今のような高価なおもちゃ自動車のままだろう。 新油田の開発に努め、その石油を浪費せずに使っていくのが我々の唯一の選択だと 思う。大気中に放出された二酸化炭素は植物によって酸素に変わるのだからこれ以 上地球上の植物を減らさないことも重要だ。 深刻な電力不足が予想される中国では高速増殖炉の開発に着手したそうである。ロ シアの技術援助を受けて、現在設計段階にあるそうだ。日本政府は勿論、原発推進 派の方々も、まさか反対しないだろうな。 なお、日本では雨が多いから原発事故などで放射能がまき散らされてもすぐに洗い 流される、広島や長崎のように甦る、と思っている人達がいるのだろうか。もんじ ゅの事故の時も、京大の理工系大学院生は、「原子炉内の放射能は2ー3年で消滅 する。」などと本気で言っていた。原子爆弾によってまき散らされる放射能の半減 期は、大部分は3時間とか1日であるので、原子爆弾が爆発しても3日とか10日 で放射能は1/100とか1/1000に弱まる。しかし原子力発電で生み出され る放射能の半減期は100年とか1000年であるので、放射能の自然消滅は期待 できない。海に流されれば海が汚染されることになるだけだ。カニもサケも食べれ なくなる。一度海に流れた放射性物質は重油とは違って回収不能だ。原子爆弾で汚 染された海ならば2ー3カ月で甦る(完全ではないが)かもしれないが、原子力発 電事故で汚染されたら海は終わりである。 原子力廃棄物は北朝鮮などではなく、アフリカや中国アメリカ、の砂漠の真ん中に 貯蔵(永久保存)するのが最良だと思う。地球上には核のゴミの貯蔵に適する場所 はたくさんある。深地下などに封印しては管理ができなくなるではないか。 これ以上は増やさないことが第一だろうが、とりあえず「国際放射線廃棄物管理機 構」なるものを作って、国際機関が責任を持って管理する制度にすべきだ。また原 子力事業はすべて、国家を離れた国際機関が行うべきだろう。一国の国内の事故で も全世界が被害を受けるのが原子力である。すでに世界が手放せなくなっている開 発途上の技術を、せめて最小限のリスクに抑える努力が現在必要である。

    皆さーん デマに迷わされてはいけません

    阿修羅掲示板に地震情報が掲載されています。それで、コメント。 皆さん、デマに迷わされてはいけません。あらゆる機会を通じて地震の恐怖を説き、 市民の防災意識を高めることは大事です。あらゆる手段を通じて(たとえデマでも) 来るべき大地震に備えるように、市民や政府を啓蒙する必要もあります。しかしあま りデタラメすぎますと狼少年みたいになってしまって、本当に地震が迫って来ても相 手にされなくなる恐れがあります。 関東地方の大地震(被害地震)の周期を計算しますと67年になるそうです。(40 年ほど前に発表された「関東地方大地震67年周期説」。69年だったかもしれま せん。)しかし過去の地震記録を統計学的に分析して周期を求めただけで、そして、 その67年の前後10年に地震が起こる確率などを求めたにすぎません。実際に関東 地方を襲っている地震には明確な周期性はありません。むしろ周期性は非常に弱いと 言えます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー       【江戸時代以降南関東を襲った大地震のリスト】  西暦年月   間隔   通称  1633年 3月   --   寛永小田原大地震[小田原城下壊滅。周辺も被害甚大]  1703年12月  70.8年  元禄小田原大地震[元禄関東地震。関東大震災と同等]  1782年 7月  78.5年  天明小田原大地震[小田原城下壊滅。周辺も被害甚大]  1853年 3月  70.7年  嘉永小田原大地震[小田原城下壊滅。周辺も被害甚大]  1855年10月  73.1年  江戸安政地震[局地的だが江戸の被害甚大])  1923年 9月  70.5年  大正小田原大地震[関東大震災のこと。京浜地方壊滅] ★1997年12月?  74.3年  平成小田原大地震?か東京大地震[人類史上最大の震災] (地上で揺れが最大の地点が震度6以上、または震源のエネルギー(地震の規 模)がマグニチュード7前後かそれ以上のおもなものだけを並べたもの) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー このようなリストはかなり恣意的(でっちあげ)なものです。関東地方はこの40 0年に何十回も地震に襲われています。関東地方、ここでは東経(139.2ー1 40.0)緯度(35.2ー36.0) とします、を震源(震央)とする地震( 被害地震)は1605年から1994年までで、計32回あります。1616年  1633年 1635年 1640年 1649年・・・・・など。大部分が異な った地震断層、起源です。このような地震記録をほぼ70年ごとに選び出し ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー どんな阿呆が考えても、東京には約70年に1回必ず大地震が来るに決まっている ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー などと結論付けてはいけません。「平均すると関東地方は70年に一回位の割合で 地震に襲われて大きな被害が出てきた。」 と言えるだけです。未来においても過 去と同じように、70年に一回位の割合で地震による大きな被害が出るかどうかは 不明です。過去に大被害を出したような地震が現在の関東地方を襲っても、被害は 殆どないかもしれません。震度5−6の地震で江戸時代の家屋は全壊したでしょう。 必ず大火事が発生して何千人も焼死したでしょう。しかし現在の東京の建築物とは その程度ではびくともしないような設計(あくまで設計ですが)なのです。防火対 策も取られています。300年前、70年前とは異なります。(勿論、予測外の被 害が出るかもしれません。また震度7になればどのような被害が出るか予測できま せん。) しばらく前、東京地方に震度5程度の地震がありました。被害はゼロでした。江戸 時代ならば数千人が死亡する大地震・大災害として記録されたかもしれません。し かし現在の東京にとってはその程度の地震はへっちゃらだったのです。 また過去に地震が起きたように、未来にも同じような地震が起こると、必ず決まっ ているわけではありません。現在関東地方で危惧されている地震とは直下型と言わ れる、比較的浅いところで起こる、マグニチュード5−6.8程度の地震です。規 模は小さくても大きな被害が予想されます。このような地震は過去何十回も関東地 方を襲い大きな被害を出しました。これからも襲うと考えるのが自然ですが、必ず と言う意味ではありません。 実際、計算上(シミュレーションでは)は戦後もう何回か来ていて良さそうなのに、 未だに来ないのです。不思議です。おかしなあ。俺の理論が間違っているのかバグ があるのか。現代が地震の活動期から外れているだけかもしれません。または関東 地方の地下の地質学的性格が変わっているためとも考えられます。現在の関東地方 (人口密集地域)の地表はほぼ完全にシールドされており(即ち、アスファルト・ コンクリートで覆われていて)、雨水も地表や下水道、地表の水路を流れます。昔 のように地下深くの断層に浸透している状態ではありません。地下に水を多量に注 入すると地震が起こることが知られています。ダムなどを造ると、過去まったく地 震がなかった地域なのに地震が頻発するようになり大地震まで起こることがありま す。原因としては水により地質(地震断層)の性格が変わったこと、地下の高熱の エネルギーが水により力学的エネルギーに変わること(穏やかな水蒸気爆発でマグ マの熱エネルギーが地殻の弾性エネルギーに変わる。)、などがあげられます。地 震断層に水を注入することにより地震を起こすこともできます。もしかすると、関 東地方は地表を人工的にシールドしたことにより、または地下水の多量汲み上げに より、過去の直下型地震から解放されたのかもしれません。(このようなことは、 あまり期待できそうにありませんが、しかし、東京都住民には希望ではありません か。地震という時限爆弾は止まっている可能性もありますから悲観しなくても良い のです。私は東京に住んでいないので他人事。) なお天体の運行などによる危険日、危険期間を特異日としてを論じていますが、 こちらはもっと科学性に欠けると思います。はっきり言って科学性ゼロです。 それらの日が1ー5パーセントほど、他の日に比べて地震の起こる可能性が高いと の主張なら解ります。(つまり、通常の一週間に地震が起こる確率は0.100パ ーセントであるが特異日の一週間は0.105パーセントである。などは、なるほ どなるほど。) また間違っても、アメリカのペンタゴンが地震予知に成功しているなどということ はないでしょう。アメリカでは既に地震予知を放棄しているようです。(これは日 本も同じですが。)コンピュータによる地震シミュレーションで予知可能なのは、 長期予報だけです。(誤差せいぜい 20年 これはどのような天才でもどうしよ うもありません。)地震現象はそれほど単純ではありません。しかし、毎日を地震 警報日として注意を促すことは良いことです。 風船を膨らませていくとしましょう。いつかは必ずパンと破裂します。しかし、いつ 、どの位大きくなったらその風船が破裂するか予測するのは困難です。まったく同じ 風船を同じ人が膨らませても、同じに破裂するわけではありません。破裂しそうな大 きさになったら、指ではじいてみましょうか。それがきっかけとなり破裂する場合も あるでしょう。しかしその程度の刺激ではまったく破裂しない場合も多いでしょう。 風船には小さな穴が開いていて、いくら膨らませても破裂はしないばあいもありま す。月や惑星の地震断層に及ぼす力学的影響など、量的には1パーセントにも満た ないでしょう。これが大地震の引き金になるとは、星占い以上ではありません。 しかし、予知される期間内に大地震が関東地方を襲う可能性も0.1パーセントく らいはあります。そのような予知を毎回行えば当たる確率は高くなります。宝くじ も毎回多量に買えば当たります。(そのような宝くじを毎回多量に、誰にも内緒で 購入し、当たったら、皆に見せびらかす・・・人もいます。) 「弾性エネルギーが貯まって限界状態にある地震断層を探しだし、そこへのボーリ ング抗へ多量の水を圧入・注入する。水により断層面の摩擦係数は減少して、地震 が誘発される。」 という方法での地震の予知(?)は有望で成功率は高いと思わ れます。密かに行われるかも。すでにアメリカでの成功例はあるそうです。 (しかしまったく新しい弾性エネルギーが生成されてしまう場合もありますから・ ・・。付近にマグマ溜まりなど無いことを確認してね、日本は火山国、ペンタゴン さん。)      www.shiojiri.ne.jp/~side8 「禁じられた果実」 地震の予知 阿修羅さんの役割は陰謀の暴露でありますから、陰謀に荷担してはいけません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今は昔の出来事  おらたちの村にはどうして毎日地震があるんだ。昔からこの辺りに地震があっ たなんて話は聞いたことがねえ。爺ちゃんも婆ちゃんも、ひい婆ちゃんも地震な んて初めてだと言っている。150年前からあった庄屋さんの屋敷もこのあいだ の地震でつぶれただ。おれんちも壊れちまっただ。息子もつぶされちゃっただ。  古文書にも地震の記録なんてないそうだ。  大学の先生が東京から大勢来て調べている。首を傾げている。世界的に珍しいん だって。  地震が来るようになったのは村の周りにダムができてからだわい。大きなダムが 5つも付近にできたんだ。ダムなど造って山の神様が怒ったんだ。  でも大学の先生はダムと地震は関係ないって言ってるぞ。先生が嘘をつく筈ない だろう。 電力会社顧問の    地質学者    現在ではダム付近の断層には多量のシールド剤(モルタル)            を注入しております。(グラインディングと言います。)            ダムの水が地下に漏れることはありません。また地下に浸            透した水が地震を引き起こすという説は証明されていませ            ん。  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 参考  地震問答1975 中国地質出版社 (邦訳 中国の大地震 予知と対策)    29 大干ばつや大雨は地震の発生に影響あるだろうか。           30 冬と春に地震が多いと言うのは本当か。             (いずれも僅かに相関があるそうです。)    31 旧暦1日と15日頃地震が多いというのは本当か。(即ち新月満月に)       (本当だそうです。1日と15日は太陽と月の地球に対する引力は最        大になり、こうした外力は小さいとはいうものの、地殻中の今にも        亀裂を生じかねない部分では、僅かな変化でもここを誘発して破壊        を生じさせ、地震発生となる可能性があるのである。もちろん、最        も根本的な原因は、その地下に触発される条件が存在するか否かで        ある。従って旧暦1日15日に必ずしも地震が起こるわけではなく        、実際多くの地震はこの日に起こっていない...そうです。)                新月満月には地震発生の可能性は少々高まるようですね。     32 「九星連珠」は災害性地震を引き起こすことがあるか。         計算によればかりに9惑が一直線上に並んだとしても、その影響         の最大値は月が地球に対して及ぼす影響の万分の一にすぎない。         月ですら地震の発生に決定的作用を果たしえないのであるから、         まして他の惑星など言うまでもない。我が国(中国)で詳細な地         震記録がある紀元前790年から現在まで、「九星連珠」の現象         はもう15回も起こっている筈である。この間マグニチュード          8 以上の地震は数多く発生しているが、いずれも「九星連珠」         の年のことではない。世界で起きたいくつかの巨大地震も「九         星連珠」と関係ない.....そうです。

    「地震ナマズ出現予定表 今後100年間」

    過去に起こった地震が今後も同じように起こるとすれば、いつ、ど こで、どのくらいの規模の地震が今後起こるだろうか。 パソコンで長時間計算した結果を公表しようと思う。地震は自然現 象であるから過去に起きたように今後も地震は起こるだろう。現在 の地震理論とコンピュータの力をもってすれば、このような計算( シュミレーション)は可能である。(20年前の理論やコンピュー タでも可能であるが、誰でも何時でもコンピュータが使える環境が 整ったのは最近である。) 日本列島を(100、100)の10000のブロック(25キロ 四方)に分け、各々のブロックにおける歪み(地震エネルギー)の 蓄積割合・蓄積度を計算、歪み限界に達したところで過去に地震が 起き、また未来においても地震が起きるとして今後100年間をシ ュミレートした結果が「地震ナマズ出現予定表 今後100年間」 である。 このような情報に意味があるかどうか、またどのような意味を持つ かを知るのは、実際にこの種の研究をしている研究者だけなのかも しれない。公的研究機関がこのような研究を行っても成果は極秘だ ろうか。(私はどこもやっていない、いや、やらせて貰えない、い や、未だにできないでいる、と思っているが、しかしペンタゴンな どではやっていて対日本政策にナマズ兵器として利用する、してい る、かもしれない。スーパーコンピュータを使えばパソコンのよう にメモリー不足や膨大な計算時間に苦労することもなく、貧しいプ ログラミング技術でもできるだろう。それだったら公表してしまっ た方が日本の被害は少ない、謀略も空振りに終わるだろう、なんて 私は考えて公表する。) このような予測(予想)を、意味あるように解釈するには、どのよ うな種類の誤り・誤差が、どの程度含まれるかを知ることが重要で ある。予測・予想には誤りも誤差もつきものである。天気予報や台 風の進路予報と同じで、「予言」とは本質的に異なる。また、一般 に予測・予想の誤りの種類・程度を明らかにし、誤差範囲を知るこ とは、予測そのものよりも困難である。 「明日の天気予報。明日1ミリ以上の雨が降る確率は50パーセン トです。」 これはごく普通に行われているの天気予報であるが、 では明日は雨が降るのだろうか、降らないのだろうか。1ミリ以上 雨が降ったら「雨が降った。」と定義し、1ミリ未満だったら「雨 は降らなかった。」 とするのだが、この予報では明日は雨が降る のだろうか、降らないのだろうか。50パーセント・50パーセン トと予報しているわけだから、つまり「まったく判りません。予報 はまったくできませんでした。我々天気予報士は匙を投げました。 雨が降るか降らないかは神のみぞ知るです。」という意味である。 しかしこのような予報に対して「ふざけるな。わからないのなら予 報などと言えない、税金の無駄使いだ。黙っていろ。」と怒る人は 少ないと思う。このような予報でも我々はどのように解釈すれば良 いかを十分に知っているからである。「明日の天気ははっきりしな い。」という予報も我々にとって十分に良質な情報で役に立つ。 地震ナマズ出現予定表に、 2023年 北緯35度 東経134度  M8.2 とあるのは、「この辺りでこの程度の地震が2023年頃に起きま すよ。」という意味ではあるが、西暦2023年までにこの地震が 起きる確率は50パーセント、西暦2023年まではこの地震が起 きない確率も50パーセントである。「それじゃあ、予報じゃあな い、ふざけるな。」 と皆は怒るだろうか。そのような人は麻原な どの霊能者・予言者やアカシック・レコードなどに頼るしかない。 「台風予報。勢力の強い台風が35時間後には九州に上陸する見込 みです。九州地方はは風速30メートル/秒の暴風と100ミリ/ 時間の大雨に襲われますので厳重な注意が必要です。」 このような予報にはどのような種類の誤りが含まれ、またどのよう な誤差を含むだろうか。台風の進路が大幅にずれ、九州には近づき もしない場合もある。台風予報は完全に外れたことになる。台風に 備えて避難したり、仕事を休んだ人達からは非難の嵐が湧き起こる かもしれない。「気象庁の発表のお陰で私は2000万円の損害を 受けた。外れる予報などデマである、意味がない。敢えてそのよう な予報を発表するのなら、外れた場合には被害者に対して損害賠償 をしろ。」 と言う人もいるかもしれない。  または、気象庁は大型台風の発生と九州への接近を知っていなが ら、「確実に九州へ上陸するとは言えない。」 という理由で、民 衆を不安に陥れないために、経済活動を混乱させないために、台風 予報を行わなかった(台風情報を公開しなかった。)としよう。し かし、実際にはほぼ予想通りに、台風は30時間後に九州へ上陸し、 風速35メートル/秒 雨量80ミリ/時間の威力で、備えのなか った九州地方に死傷者多数の大災害をもたらしたとしよう。九州市 民にとって「台風情報・予報はまったくなかった。気象庁は台風の 上陸の可能性を高い確率で予想していながら隠していた。」 こと になり、気象庁への非難は避けられないだろう。始めから台風予報 など試みなければ(たとえできても)、気象庁には責任はないだろ うか。しかしこのような態度とは無責任であり、予算・税金を払う 価値はない。できることをやらないでおきながら「台風は自然災害 です。自然災害に対して国は補償しません。自己責任です。」など と言われたら九州市民は怒るだろう。同じことは地震予報でもおこ る。 狼は来ないのに、「狼が来た、狼が来た。」 と大声で騒ぐのは誤 りである。迷惑このうえない。また狼は来ているのに、臆病な犬の ごとくに自分だけ隠れてしまって、「OOOO」(沈黙し) 何も 騒がない、のも誤りである。皆が狼に食われてしまう。 予測・予報(判断・意思決定・検定)にはこのような2種類の誤り が必ず含まれる。統計学では前者を「第二種の誤り」と呼び、後者 を「第一種の誤り」と呼ぶ。どちらの誤りも少ない程、質の良い予 報・予測・判断であるが、一方を少なくしようとすれば他は必ず増 加してしまう宿命にある。問題はどちらに重点を置くべきかの判断 である。またその予報ではどちらの誤りに重点が置かれているかを 知ることである。 地震ナマズ出現予定表に 2023年 北緯35度 東経134度  M8.2 とあっても、このような地震がまったく発生しないこともあるだろ う。第二種の誤りが生じている場合である。 また、地震ナマズ出現予定表にはまったく載っていない大地震も多 数起こるだろう。これを第一種の誤りが生じていると言う。 地震ナマズ出現予定表は過去400年の地震記録から求めている。 従って周期が400年以上ある地震はまったく予報されない。日本 列島の内陸部に発生する大地震(直下型と呼ばれることもある。) の周期は多くの場合500ー10000年であり地震ナマズ出現予 定表には絶対に載らないことになる。また周期が400年以下の大 地震であっても被害地震でなければ古文書に記録されることない。 それで、北海道や沖縄など、昔は人々があまり住んでいなかった地 域の地震記録は残っておらず、そのような地震は地震ナマズ出現予 定表にも載らないことになる。 このような理由で、阪神大震災も北海道の地震も、最近の石垣島近 海の大地震も、地震ナマズ出現予定表に載ることはなかった。(つ まり第一種の誤りが生じたのである。俗な言葉では「外れた。」と 言う。)  「地震ナマズ出現予定表 今後100年間」には、その算出方法の 原理から第一種の誤りを多く含む。第二種の誤りは少ない。 さて、「地震ナマズ出現予定表 今後100年間」に 2023年 北緯35度 東経134度  M8.2 とある場合、地震発生の西暦、位置(経度・緯度)、規模(マグニ チュード)にはどの程度の誤差が含まれるだろうか。予測のデータ として用いた地震記録の誤差はそのまま予測の誤差に反映されてい る。 地震記録の誤差は互いに打ち消し合い、傾向がある誤差は修復・補 正されるようなプログラムにはなっているが、それでもデータの誤 差が予測誤差に直接影響してしまう場合は多い。多くの場合該当地 域(ブロック)の地震記録は2ー3個しかないので補正には限界・ 無理がある。地震計を用いて震源地やマグニチュードを求められる ようになったのはここ30ー40年だろうと思う。それでもマグニ チュードに0.3程度の誤差は普通である。200年前、300年 前に記載された古文書から推定した地震記録(位置、規模)がどの 程度の誤差を含むかは言うまでもない。マグニチュードの0.5と は時間に換算すれば10ー20年にも相当する。その上、複雑な地 殻を粗野な理論でモデル化・プログラムしているのであるから、そ の予測精度とは問うまでもないだろう。(誤差を統計学的に記述す る必要があるのだか手作業に頼らざるを得ず過大な労力を要するの で、未だに私はやっていない。) しかし、この「地震ナマズ出現予定表」に載せられた地震とは、将 来、たぶん、日本列島に発生することが予定されている地震である。 精度の良い短期予報・直前予報、また予定されていない地震の予報 を行うには地震前兆現象の収集・解析しか方法はない。 (パンダ・プロジェクト) 余談 地震が起こると2ー3分後にはテレビなどに、「ただ今地震が起こ りました。各地の震度は次の通りです。なおこの地震による津波の 心配はありません。」というようなテロップが現れる。 大地震の前には小地震が起こることは良く知られている。7ー8割 の大地震には明らかな小地震(前震)が伴う。であるから地震が起 こってテロップを流すときには、「ただ今地震が起こりました。各 地の震度は次の通りです。この地震が大地震に結び付く可能性は否 定できませんので御注意下さい。なおこの地震による津波の心配は ありません。」としないのだろうか。そうすればそれだけで来るべ き大地震の7ー8割は予知されることになるだろうに。大地震に常 に備える心がまえだけでも被害はずいぶん減らせるだろう。これだ けのことすらしないとは、日本では地震予知など始めから放棄して いると思わざるをえない。地震注意報など毎月あっても良いと思う。 そのような態度でなければ地震予知などできる筈はない。第二種の 誤りを恐れる必要はない。第一種の誤り(見逃し)こそが致命的で ある。(強制力を伴わない地震注意報の多発は社会経済にそれ程マ イナスにはならないだろう。地震警報発令に備えた訓練と思えば良 い。) よそものが来たら、狼でも、熊でも、泥棒でも、セールスマンでも、 NHK集金人でも、大事なお客でも、かまわずに吠える犬が良い番 犬である。我が家の犬は誰が来ても吠える名犬(駄犬)であること さえ知っていれば、彼は十分に役に立つ番犬である。 無知に基づく過剰な恐怖・地震アレルギーは世相を暗くするが、現 実を認めた上での地震脅威への対策・挑戦とは世相を明るくし、社 会の活力になり、社会の目的、希望の源にもなるだろう。適度な不 安・緊張とは社会の礎である。地震災害というすべての国民に共通 する敵にたいして国民が一体になって備えているとき、地震とはも はや忌むべき自然現象・自然災害ではない。日本国家・国民が生存 と国家の威信を賭けて挑戦し戦っている尊い自然、ナマズの神様、 である。日本国民の団結・統合の象徴ともなろう。不況から抜けだ す救世主にもなりえる。 日々に自由と安全を闘い取らねばならぬ者こそ真に自由と安全を享 くるに値する。(ファウスト) 「地震ナマズ出現予定表 今後100年間」 FROM 1998 TO 2097 IDO= 24 - 48.75 KEIDO= 124 - 148.75 RP= 1 YEAR IDO KEIDO MG1 MG2 LENGTH of FAULT (Km) 1998 36.8 139.8 7.2 7.3 73 1998 40.3 140.0 7.2 7.2 63 1998 40.8 142.0 7.6 7.6 100 1998 41.3 142.0 7.3 7.3 75 1998 38.8 142.5 7.6 7.7 107 1999 41.0 142.5 7.3 7.4 78 2005 37.0 138.3 7.2 7.1 57 2018 33.8 132.5 7.2 7.0 53 2025 35.3 139.3 7.7 7.8 127 2029 33.0 134.8 8.3 8.4 244 2035 38.3 144.8 8.2 8.1 184 2040 34.0 132.8 7.1 7.1 54 2045 35.0 136.3 7.6 7.6 105 2047 38.5 143.8 8.1 8.2 213 2053 34.3 135.3 7.8 8.0 152 2053 32.0 135.8 7.9 8.0 155 2059 34.5 132.0 6.7 6.3 21 2060 34.3 132.5 7.1 7.2 62 2061 35.8 139.8 7.4 7.4 84 2062 33.0 137.0 8.1 8.0 166 2064 39.3 144.8 8.2 8.3 238 2072 38.0 142.0 7.5 7.4 76 2073 33.3 138.8 8.0 8.0 155 2073 41.0 142.0 7.3 7.3 68 2075 33.5 132.0 7.5 7.5 87 2087 40.8 141.5 6.8 6.7 36 2091 34.0 136.8 8.0 8.1 175 2096 35.3 140.3 7.8 7.8 126 2097 40.8 142.3 7.4 7.3 73 1998年に発生する地震は既に限界に達した(てんぱってる)地震です。 地震断層の長さ程度の位置誤差は少なくても予想されます。震源とは 楕円です。 時間誤差は5−10年程度は予想されます。 近接する二つの地震は一度にまとめて起こることも考えられます。 逆も有り得ます。

    ハイブリッド車 プリウス の実力

    環境にやさしい車、世界初の量産電気自動車として売り出されたプリウスは実 用の域に達した自動車だろうか。本当に省エネ車だろうか。 ハイブリッド車はガソリンエンジンで発電しその電気で走る電気自動車である。 プリウスの場合にはガソリンエンジンのエネルギーも電気と合わせて走行エネ ルギーに使う。「一体どこが電気自動車なんだ。どうして省エネなんだ。」 と 言う方もいるだろう。この辺り、一応の物理化学的知識がないと解らないか もしれない。 発電所で重油を使って電気を起こし、その電気を送電線で送り、その電気を蓄 電池に充電して車を走らせるのが通常の電気自動車である。電気自動車とは 名付けてもエネルギーの源は重油(石油)である。勿論水力発電であったり原 子力発電であったりするが、水力や原子力が石油に比べて低コストであったり クリーンであるとは限らない。では何故電気自動車が省エネでクリーン(低公害) とされるのだろうか。それは火力発電では出力一定で運転できるために常に最 高効率で電気を作ることができるからである。また出力一定の定常運転のため にまた固定した規模の大きい設備であるために排気ガス(有害ガスの除去)対 策もやりやすい。 では、「出力をほぼ一定でエンジンを稼働させ発電し、その電気を蓄電池に一 時的に保存し、その電気で自動車を走らせたら、結果的には普通の電気自動 車と同様な省エネと低公害が達成できるのではないか。」、という発想がハイブ リッド車である。逆転の発想と言おうか、思わずうなってしまう着想である。 燃費(ガソリン1リットルで何キロ走れるかという値)には10・15モード燃費、60 キロ燃費などがある。10・15モード燃費とは発進・加速・停止などを含んだ走 行での燃費である。60キロ燃費とは発進・加速・停止は省略して時速60キロ で平地を走行した場合の燃費である。当然60キロ燃費はガソリンを効率的に 利用でき燃費は10・15モードの2倍くらい良い。同じ距離を走っても発進と停 止を繰り返して走るよりは一定速度で走った方がずっと効率的であることは容 易に理解できよう。また排気ガスもきれいだろう。プリウスのようなハイブリッド 車はこの原理を使って省エネと低公害を達成しようとしている。 さて、プリウスは目的を達成できただろうか。プリウスの10・15モード燃費は 28キロメートル程度だそうである。これは同クラスの車に比べて2倍である。 しかし60キロ定地走行燃費は私の知る限りでは明らかにされていない。きっと同 じく28キロメートル程度だろう。これは軽自動車と同レベルである。これはハイ ブリッド車の原理からして当たり前である。ハイブリッド車の原理から導かれる。 プリウスが通常のガソリン車に比べて2倍の燃費を記録できるのは市内走行の場合 であり、郊外走行や高速道路走行では燃費は少しも良くないだろうこともハイブリッ ド車の原理から容易に推定される。 プリウスの車体重量は1200キログラム、ガソリンエンジン出力は50馬力、モータ ー出力は40馬力(30Kワット)ほどだそうである。つまり純馬力は50馬力である。 蓄電池に電気が貯まっていれば50+40=90で最大90馬力出力が可能である。 この最大馬力が出せるのは蓄電池に充電されている場合である。蓄電池に電気 がない時には50馬力しか出せないのは言うまでもないだろう。 プリウスの最高速度は160キロメートル/hだそうであるが、これは瞬間最高速度 だろうか、それとも巡航速度だろうか。「巡航速度である。」と書いてあるかもしてな いが、しかし瞬間最高速度であることは間違いないだろう。高速道路を走れば蓄 電池の電気はすみやかに使い切り、後は車重1200キログラムの中型車並みの 車体を、50馬力という軽自動車並みのエンジンで走らせねばならない。平地であ っても時速100キロを維持できるかどうか、私には疑問である。またこの時の燃費 は軽自動車に遙かに劣るのではないだろうか。軽自動車が燃費に優れるのは車体重量 が600−700キログラムと普通車に比べて軽いからである。 自動車関連の雑誌、書籍、週刊誌にプリウスに関する記事は多い。またインターネ ットで検索しても無数にヒットする。しかし、プリウスの性能についてまともに論じ ているのはあるだろうか。 新型車が発売されれば、動力性能、燃費などが詳しく調べられ、ライバル車と比較 され報道されるのが普通である。ところがプリウスではこのような試験は行われて いないようである。プリウスの10・15モード燃費とは蓄電池をフル充電してから測 定されるのだろうか。では蓄電池に充電されていない状態から10・15モード燃費 を測定すればどのような数値が出るのだろうか。 ゼロヨン加速(停止から400メートルを走るまでに要する時間(秒)、加速性能の目 安)はどのくらいだろうか。0−50キロ加速、50−100キロ加速、80−100キロ 加速などはどうだろうか。(19秒だそうです。) これらは蓄電池に十分な電気が蓄えら れている状態、及び蓄えられていない状態の2つのケースで大きくことなるだろう。東京 から大阪まで、プリウスで高速道路を利用して行くとしたら、果たしてプリウスは実用に 耐える車だろうか。郊外や坂道、高速道路では蓄電池の電気は30分で終わるだろうから、 後の長い道のりは、50馬力で走らねばならない。これは高速道路を原付バイクで走るが ごときだろう。プリウスを買った人達でなければ耐えられないのではないだろうか。 プリウス ユーザーのレポートでは燃費は13−15キロメートル/リットルと皆が報 告している。(いや、16−20キロというグループもいる。) このクラスの車は12−13キロであるからプリウスの燃費は10−20パーセントし か良くなっていないことになる。またプリウスのタイヤは特注の特別省エネタイヤで、 このタイヤは20パーセントの省エネ効果を持つという。ではプリウスの省エネとは、 その特注・特別タイヤにあることになってしまう。省エネタイヤには乗り心地や操縦安定 性、旋回性能、高速安定性などで多くのデメリットを持つ。それで多くの車では省エネタ イヤを標準では付けていないない。省エネタイヤを付けて、「この自動 車は省エネです。」というのはどうなんだろうか。詐欺にはならないのだろうか。 プリウスのブレーキは運動エネルギー吸収型という。ブレーキで発電し蓄えることが できる。そのためにスムーズに止まることができない。(ガタン・キュー・ブレーキ) ・ ・・と月刊自家用車の最新号に報告があった。もうずいぶん長期間(1万キロメートル )も使っているスタッフは未だにプリウスのブレーキに慣れることができないでいると 書かれている。ブレーキ性能とは自動車の開発では最優先で取り組まねばならない だろうに、プリウスでは燃費が優先されていることになる。 安全性はどうなんだろうか。インターネットでのユーザーレポートでは「非常に悪い 。運転していて不安を感じる。」という意見もある。プリウスはアメリカでは発売さ れていない。アメリカでは自動車ユーザーの力が強い。安全性に優れない自動車でユ ーザーが事故を起こせば、自動車メーカーは莫大な賠償金を請求される。プリウスは アメリカ水準の安全性をクリアーできているだろうか。「横風でプリウスは不安定に なり、その結果私は事故を起こしたのです。事故の総ての責任はプリウスにあります。 トヨタは私に15億円を支払わねばなりません。」 このような要求が通るのがアメ リカ水準である。日本では自動車の明白な欠陥により100台も同じ事故を起こして も、メーカーの責任が問われることはない。ユーザーが自動車の欠陥を証明すること ができないからである。また運輸省・マスコミなどもメーカーの味方だからである。 アメリカではそのようなことはない。プリウスがアメリカで発売されるまで、私はプ リウスの安全性に疑問を感じざるを得ない。日本では新車は海外で始めに発売される のではなかったろうか。 プリウスはニッケル・水素電池を積んでいる。寿命は10年、5年補償だそうであり、 このニッケル・水素電池の交換には40万円ほど要するそうだ。しかし、このような 蓄電池が存在するのだろうか。通常の鉛蓄電池は5年で性能は5割ダウンする。 また、通常の自動車のバッテリーは始動用であり毎回、放電・充電を繰り返してい るわけではない。一度始動してしまえば、あとはダイナモ(オルタネータ、発電機) が発生する電気が走行時には使われる。蓄電池の電気が使われるのはエアコン 使用時など特別な場合だけである。つまり、その蓄電池は通常は使われない状態 で使われている。また各バッテリーメーカーは、より高性能・超寿命のバッテリー開 発努めてきたことも言うまでもないだろう。それでもメーカー保証は1−2年であり、 5年使用すれば交換を強いられる。通常市販されているニッケル・水素電池の充 電・放電サイクル寿命は300ー500回とされる。これだけ使用すれば能力(容量) は半分に落ちる。プリウスの充電池の使用環境は一般の充電池(カセットレコー ダー、携帯電話など)に比較して桁違いに悪いだろう。ニッケル・水素電池には避 けられない「メモリー効果」(放電し終わらずに充電すると容量が減ってしまう。)も 回避できないだろう。 -------------------------------------------------------------------- メモリー効果に関する私の誤解が指摘されましたので転載します。                      7/19 2001 Anonymous アルカリ二次電池(NiMH電池、NiCd電池)のメモリ効果について誤解されています。 メモリ効果が発生しても、せいぜい -起電力(発生電圧)が数%低下する -貯蔵できるエネルギー量が数%〜10%低下する だけで、それ以上の性能低下は起こりません。電圧マージンをほとんど取っていない ような設計の機器では、上記数%の電圧低下にも耐えられず、結果として機器の使 用可能時間が半分になる(蓄えられているエネルギーの半分を使ったところで機器が 動作しなくなる)ようなことも起こりますが、NiMH電池の特性を考慮して設計された 機 器では、メモリ効果による電池性能の低下は10%以下と見てよい、ということです。 インバータ機器の場合には、設計により容易に電圧マージンを確保することが可能で すから、NiMH電池のメモリ効果は問題になりません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 夏の高温状態や冬の低温でも使われるだろう。とすれば、 最大限に楽観的に考えても1−2年(300回ー600回の使用)で40万円の充電 池の寿命は尽きると考えるのが自然ではないだろうか。実際、近頃はやりの電気 自転車の充電電池の寿命は1−2年と言われている。 結局プリウスはお客に売り出した試作車・実験車だと思う。環境保全と省エネの 実験に消費者も参加しているのだ。プリウスとは市内走行でのみ、その低公害 性と省エネの威力を一時的に発揮できる玩具なのだ...というのが結論である。 ハイブリッド車とは一般向けではなく、市内循環バス向けに適していると思う。 インターネット のユーザーレポート。 「プリウスの燃費はこんなにいいんだ。」(数値を見せる。)  「へえ、じゃあ私のマーチと同じだね。」 欠陥車に挑んだ男達日本自動車工業の歴史。日本車が高い国際的評価を勝ち得る までには、多くの日本の自動車ユーザーの犠牲と男達の闘いがあった。    

    化学分析と分析化学の差異

    (以下、阿修羅掲示板関連です。) 以前、私(MASA)は「分析化学を化学分析と書いている。」 「カドミ ウムをカドニウムと書いている。」 というような指摘を受けた。 化学分析と分析化学の違いははっきり知らなかったが、これについて 私が使っていた分析化学の教科書には次のように書いてあった。化学 分析は広辞苑にも載っている日本語だが分析化学は広辞苑には載 っていない専門用語だとも言える。 学生・専門家は区別して使う方が望ましい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー          まえがき 本書は大学の2,3年生程度における分析化学の副教科書ないし参考 書として書かれたものである。  大学の学生から、分析化学(analytical chemistry)と化学分析(chemi cal analysis)の差異はどこにあるかといった質問をしばしば受ける。分析 化学は化学分析といった一つの特殊な技術を発達させるための基礎を なす化学の一分野であって、物理化学、無機化学、有機化学などと併立 するものである。従って分析化学を履修する学生は、ただ機械的に手を 動かして化学分析の技術を習得するだけでは意味がない。しかし、一方 、ただ理論だけに走って、化学分析の実験技術をまったく顧みないのも 、落第である。化学分析に用いられるすべての反応や技術は、理論で説 明できるものであることが理想であるが、現在の段階では必ずしも可能で はないからである。そればかりか時には、化学分析を行っている間に経 験的に見出された事実によって、理論の進歩が促進されたり、新しい理 論が生まれたりすることさえある。  本書も、この点を考慮して、いたずらに化学分析技術の履修書とならな いように注意するとともに、一方では、現在大学の学生実験に必要と思わ れる化学分析の実際の技術もできるだけ記述することにつとめた。  編者は、かつて大学の分析化学教室にいたことはあるが・・・・・。      大学実習 分析化学  裳華房                                 編者 斉藤信房                                  東京大学教授 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 分析化学を学んだが、化学分析はやらなかった人達が警察の分析担当 職員だということだろうか。 私はこの単位を落としたが、出席は全部した。「極微量の物質の分析・定量 では誤差が100パーセント、いや1000パーセント、10000パーセント なんてことも当たり前。専門家から見れば新聞の記事など滑稽だ。」 とい うようなことを初めの授業で聞いた記憶がある。 ダイオキシンの定量を行えば、まったく同じ試料を同じ人が同じ方法で同じ 機器を使って同じ日に行っても、結果が10倍も100倍も違ってしまうことは 珍しくないだろう。(これを再現性が乏しいなどと表現する。) なぜそのよう になってしまうかいくら考えても解らなくて分析者は一人で悩むことになる。 「私の分析誤差は1000パーセントです。」なんて言える化学分析技術者 がいる筈はない。誰でも「私の誤差は5パーセント以下です。」 と胸をはっ ていることだろう。 日本はボンベイの50倍もダイオキシンに汚染されているとい聞いたが、そ れは本当だろか、それとも測定誤差の範囲内か。ボンベイは日本の100 倍もダイオキシン濃度が高いなどという分析結果もあるかもしれない。デリー などでは自動車の排気ガスが相当堆積しているだろうから日本の100倍 あっても不思議はない。 なお、私が行っていた原子吸光法での金属定量(0.1ppm程度の量)では 誤差は常に20パーセント以内に抑えられた。原子吸光法での砒素の検出 ・定量は0.05ppm程度までは容易で、段取り(標準液の作成や前処理、 機械の調整で3時間程度)さえ済ませば、一人でも1試料/3分もかからな いだろう。一日かければ100試料くらいは簡単に分析できる筈だ。砒素は 猛毒だから専用の密閉ケース内で自動的に処理できるオプション器具を 使う。(これは50万円程か。原子吸光の装置自体は300−500万円程度 でどこでも買える値段である。大学の分析化学教室(学生数15名)にも3−5 台は置いてあることだろう。) 和歌山の事件で報道される砒素分析の様子は不思議。私が化学分析を行 っていたのもう15年以上昔だが、基本的方法は同じだろうに。容疑者の 自宅の土壌などから砒素を検出するつもりなら、付近の容疑者でない家の 土壌も同じように同じだけ調べなければ意味がない。  後で「通常の家か らも検出される量でした。林容疑者宅から砒素が検出されたというのは間違 いでした。」なんてことになる。 化学分析は試料の採取から報告書の作成まで、総て一人で行うのが原則 だと思う。途中のどの段階でミスが入っても結果はまったく信頼できなくなる からだ。そしてどこで間違えたかなんて誰にもわからない。(本人にはわかる 場合もある。) 試験管やビーカーの洗浄や機器の調整・検査も自分でやら ねばならない。 Cadmiumはカドミウムと記すようです。私はカドニウムと発音していたが NHKのアナウンサーはどう発音しているかは知らない。

    砒素の分析

    砒素の含まれる食品を砒素を残したまま灰化するのは至難の業 で、単純に焼けば残った灰には砒素は殆ど残らず、誤差10000 パーセントの定量になってしまう。湯浴を使用して80−90度の温 度で硫酸を使って焼いても(連続2−3日かかるかも)半分以上が 昇華してしまう。どのくらい残るかがわからないので誤差200パー セントの定量になってしまう。砒素化合物によっては低温で焼いて も全部飛んでしまう。砒素の分離法として、この砒素の性質を利用 した昇華・蒸留法があるくらいだ。(砒素を三塩化砒素にして蒸留・ 分離できる。) 私は砒素の含まれる試料を灰化した経験はないので詳しくは知り ません。試料の分子や結晶を構成している砒素原子でなければ灰 化する必要はない筈です。砒素の定量で灰化を試みることは自分 で誤差を増やすようなもの。 (砒素は少量でも有害な毒物だから砒素の煙など吸いたくない、周 囲にも迷惑をかける。) 鉛やカドミウムなど昇華しにくいとされる金属でさえ、湯浴による低 温灰化法を用いても2−3割は飛ぶと読んだ、記憶があります。 警察の分析では誤差を300パーセント以内に収められれば上出来 と言えると思います。そのまま白金ルツボで焼いて機械にかけるか ら砒素が100PPMある試料を「0.05PPM以下です。」なんて結論 も出す。このような分析技術者は公害企業や食品会社では重宝さ れるでしょう。(彼自身は砒素中毒になってしまうかもしれませんね。) 前処理には予想できない大きな誤差が入りやすいので、できるだけ 簡単にし、できればそのまま機械にかけるのが良い。(そのままでは 機械装置にかからないから苦労するのですが。ですから、ほぼその まま機械装置にかけられるような手法・機械装置が望ましいのです。 機械装置自体にはカタログとおりの性能ー誤差1パーセント以下ーが ありますから。) ICPMSとは何なのか知りませんが(なにしろ私は18年前の知識しか ありませんので)、蛍光エックス線分析法のようなものでしょうか。 この方法では多数の元素を一度に検出・定量できますが、一方、共 存元素の干渉が大きく、経験的データがない場合にはあらかじめ砒 素の分離をしておく必要があると聞いています。装置も高価で、当 時の研究室には一台しかなく、学部の学生が触らせて貰える代物 ではなかった。 和歌山事件の青酸はどうなったのでしょうか。致死量に達する程の 青酸カリを検出した筈なのに。犠牲者の死体は解剖され、各部位の 病的異変やそこの毒物量(青酸や砒素)が測定されたことでしょう。 にもかかわらず、死因が「青酸カリによる中毒死」から「砒素による 中毒死」に変更されたのは林容疑者が逮捕される直前です。 青酸カリも飛びやすい(気化・昇華・蒸発・分解などにより自然消滅 する)ので、なかったことにするのも容易でしょうけれど。

    リンゴ果汁のナトリウム定量

    四訂食品成分表(科学技術庁資源調査会編1983年)には多くの 食品の成分分析値が載っています。 リンゴを見ますと、100g中の値として、     タンパク質 ・・カルシュウム・・・・ 鉄・・・ナトリウム・・ カリウム 生果   0.2         3   0.1       1    110 天然果汁 0.2         3   0.5       4    110 濃縮果汁 0.5        14   0.6      28    530 (1/5濃縮) g       mg    mg      mg     mg という具合に分析値が書いてあります。 私は閃いて、参照先 科学技術庁計画局資源課に電話しました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー MASA  リンゴのナトリウム含有量についてですが、生果では10        ppmなのに天然果汁では40ppmになるのはなぜでしょう        か。分析ミスではないですか。タンパク質やカルシュウム、         カリウムなどは生果も天然果汁も濃縮果汁も殆ど変わっ        ていません。ナトリウムだけが4倍にもなるのはおかしく        ないですか。 担当者  (少し困った様子で、しかしはっきり)        いえ、このくらいは誤差の範囲内です。間違いではありま        せん。 MASA  誤差の範囲って、50パーセントや100パーセント程度なら        ば誤差の範囲と言えるでしょうが、4倍つまり400パーセン        トもの誤差ということになりますよ。どんな方法で分析しても        ppm程度の濃度でこんなに誤差が出る筈はないでしょう。        鉄などは搾ったときに圧搾器の鉄が溶けたと推定できます        が。ブドウやオレンジなどではこんなことにはなっていませ        ん。 担当者  (困った様子で)        いえ、そんなことはありません。このようなものでは4倍くら        いの違いは珍しくはありません。こんなものですよ。 MASA  (しつこく)        いや、私も果汁のナトリウム定量は何度もしましたが、そん        なに違うことはありません。またリンゴのナトリウム濃度が        そんなにばらつくこともありません。もしこの分析に間違い        がないのならサンプルがおかしいということになりません        か。 担当者  ・・・分析したらこうなったということで、それ以上のことはい        えません。私たちは市販のリンゴ果汁を分析しただけです        から・・・・ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  実を言えば私はなぜこのような分析結果が出るのかを知っていた。 科学技術庁の分析に400パーセントの誤差があったわけではない。 100パーセント天然果汁は70パーセント果汁に比べて値段は高い。 だから70パーセント果汁を100パーセントだと偽って売れば利益が 出る。100パーセントリンゴ果汁を仕入れ、水で薄めて、砂糖とリン ゴ酸を加えて甘さと酸味を調節し、100パーセント果汁とする。  しかしこれだけではタンパク質や灰分を定量すればすぐにばれてし まう。そこでタンパク質(アミノ酸・・味の素など)と食塩を(できれ ばその他のミネラルも)添加する。通常は果汁のパーセント判定はタ ンパク質(アミノ態チッソ)と灰分で行うので検査(JAS規格)には 果汁100パーセントとしてパスする。  私の会社のリンゴ果汁(100パーセント)のナトリウム濃度は常に生 果の10倍ほどあり、各社のリンゴジュースを一度に分析していると自社 のだけが記録紙の針が振り切れてしまい困った。分析していて恥ずかしか った。 (なお熱帯地方では果汁に食塩を加えて飲む習慣がある。日本でスイカに 塩を振って食べるようなものだ。だからナトリウム濃度が異常に高くても 誤魔化した天然果汁とは限らない。) ICPMS...すごい機器ですね。でも標準液の分析は湿式(古典的化 学分析)で行わざるを得ないわけでしょう。ICPMSの測定結果が正 しいかどうかの判定はICPMSにはできないわけです。ICPMSが正 しいとしても相対的な定量の精度が正しいだけで、絶対量の精度は 従来の方法による精度に依存してしまうと思います。極微量の場合 で従来の方法では測定できないのなら、ICPMSが正しいかどうか も実際は解らないことになります。ICPMSでICPMSを検査すれば その高性能が証明されるでしょうが、それを信じない人達もいるでし ょう。 原子吸光法も長い間法律上は有効な分析法として認められていま せんでしたが、ようやく最近許可された(これから許可される)ようで す。ですから原子吸光法でカドミウムや砒素を基準値以上に検出し ても法的には検出したことにはならない・違法ではない・・・・なんて 馬鹿な理屈もあったのです。「違法だというのなら法律で決められ ている分析方法(湿式)で検出しなさい。」 と言われれば・・・そんな ことは神業、誰にもできないことでした。 林宅での砒素の検出方法(発見方法)について、以前にここ阿修羅 掲示板からのリンクに説明してありました。「あやしい試料に塩酸を 加え発生する蒸気にアルミ箔をかざす・・・アルミ箔が黒変すれば砒 素の存在が疑われるのでその試料を研究所へ持っていって詳しく 調べる。」確かこのような記述があったと思います。100年前からあ った古典的砒素同定法だと思いますが1000ppm以上ないと検出 できないような気がします。現場での作業・・・・捜査員さん達は青い ビニールシートに囲まれて命がけでしょう。ご苦労さん。 地殻中の砒素の存在率は2PPM位だとどこかで読んだように記憶 しています。非常に偏在しているので生物は地上でいきられます。 PPBレベルで検出できるのなら砒素などどこからでも検出されると 思います。

    ピラミッドは王墓か

    MSNニュース&ジャーナル(1998年11月25日)
    吉村作治  の記事。 有名人である吉村作治氏の説で、  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以上からピラミッド王墓説は、ほぼ誤りであることがわかっていただけたと思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー と結論している。 私はエジプト学の専門家というわけではないが吉村作治の誤りを正そうと思う。 初めに「墓」の定義であるが、 「ともかく死体のない墓は、墓とは言えない。」と書いているように、氏の意味する 「墓」とは「死者の遺体を埋めるための(安置するための)建造物・場所」という狭 義の意味であるらしい。自分の定義した「墓」にエジプトのピラミッドは当てはまら ないことを氏は述べていることになる。いや「墓」という日本語は「死者の遺骸を 葬った所」の意味であるからこれは氏の定義ではなく広く一般に使われている定 義(広辞苑)である。  だから氏は嘘を述べている訳でも持論をこじつけているわ けでもない。「厳密に言うとピラミッドは日本語で言うところの墓ではありません。」 と主張しているわけだ。 しかし「墓」とは広義の意味もある。広辞苑には定義されていなくても多くの日本人 にとって広義の「墓」も「墓」である。実際は現物としての遺体が安置されなくとも 死者(故人)を供養する・しのぶ・讃える、ための建造物・場所も「墓」と呼ばれる。 昭和天皇のために大きなピラミッドが造られた。陛下の遺体が実際はそこになく てもあのピラミッドは昭和天皇の墓として現在も未来も通用するだろう。 墓とは遺骸を安置するだけが目的で創られるのではない。多くの場合は遺骸が 入れられるだけである。だから行方不明になった人や、航空機事故や戦争など で遺骸がまったく見つからなかった人の墓だって造ることができるし、死者を奉る 宗教的意味を持つ建造物や場所で礼拝場にもなるところも墓である。そのような 場所も広義の「墓」と呼ばれる。 寺院にある仏塔(三重の塔、五重の塔など)はお墓だろうか。塔は元来釈迦の遺 骨を納める建造物であるから迷わずに「この塔は釈迦のお墓です。」と言う人もい るだろう。しかし実際に遺骨が入っている塔は少ないだろう。釈迦本人の遺骨が納 まっている塔は世界に2−3しかないかもしれない。 インドはアゴラにある白亜の建築物タージ・マハルはムガール王国の国王が愛妃 の死を悼んで建立した墓廟であるが、吉村氏は墓と呼ぶであろうか。56メートル 四方の基壇の中にある高さ58メートルのドームの中央に墓石(棺)が安置され ているが、この墓石はみせかけ(ダミー)で、本物はその地下にあるという。墓と呼 べるのはその地下室だけであろうか。 ピラミッドもタージ・マハルと同じような建造物である。王の死に関わって建立され 宗教的儀式や礼拝、神殿と密接に結びついている建造物・施設であったろう。 日本語辞書で定義される「墓」とピラミッドをイコールで結ぶのは誤りだろうが、 「ピラミッド王墓説は、ほぼ誤りである。」というのは、「素人の言葉遊び。」だと 自称考古学者のMASAは感じました。MASAは一度ピラミッドを見学しただけ で、「ピラミッドはファラオの墓」とみなせると確信しました。 ピラミッドがファラオの墓の役割を持っていなかったら(ピラミッドにはファラオの 遺体が初めから安置されなかったとしたら)、どこかに本当の墓があるのだろう か。ちょうどタージマハルの白亜ドームの地下室に本物の墓石(棺)があるよう に。・・・・もしファラオの遺体がとんでもない所から発見されても、やはりピラミッ ドはファラオの墓(墓廟)です。   墓    grave tomb        sepulcher mausoleum  ピラミッドは墓(tomb)ではなくて墓廟(mausoleum)です。いえ墓廟の一部で  す。

    ピラミッドの謎

    以下、転載 http://www.waseda.ac.jp/extension/sin/konet^4.html ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 吉村 作治 (よしむら さくじ)先生の 「ピラミッドの謎(なぞ)を探る」     ?  主催:早稲田大学エクステンションセンター 事前にホームページ上でチャレンジ問題に挑戦してもらいました。 1 ギザのピラミッド建設につかわれた石は、主にどの石ですか?         答え      (1:石灰岩 2:砂岩 3:大理石)  2 王は死ぬと来世、あの世に行くためにある乗り物にのります    それはどれでしょう。        答え      (1:馬車 2:船 3:車 4:ラクダ) ーーーーーーーーーー A (吉村) やはり皆さん、よくわかっている。1番の石灰岩なんですね。   地球で一番多い、量の多い石が石灰岩です。ほぼ地球は石灰岩で覆われて   いると言っていいと思います。ですからまあ、そういう多い石を使って造   ると。ただ、いくつかの石は先程も言いましたように、花崗岩だったり、   閃緑岩であったりするわけです。それから、時代がギザでなければ、時代   によっては石じゃなくて、日乾れんがを使う場合もあるし、そういうよう   ないろいろな種類がありますけれども、ギザの3つのピラミッドの建設に   使われた石は、主に石灰岩ということですね。ちょっと見ていただきます   とわかりますけれども、これがギザのピラミッドでございますけれども、   これはの石切り場です。このようになっているわけですね。これが石灰岩   の層でございます。石灰岩がもう少し若いと砂岩で、もう少し若いと泥岩   と、ようするに堆積岩ですから、年代によって固さが違う。ピラミッドの   一番固い硬質石灰岩と言われるものです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 時代が進んだのか学問が進歩したのか、私の時代では、主な堆積岩の中で 、石灰岩は最も少ない堆積岩と記憶していました。山を歩いても石灰岩なんて あまりないので。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「何十という堆積岩が記載されているが、しかしその総量の99パーセント以上 はわずか三つの種類からなっているにすぎない。すなわち頁岩(シルト岩を含 む)、砂岩(グレーワッケを含む)、及び石灰岩(苦灰岩を含む)である。      多くの地質学者によって計算された堆積岩の量比        露頭で測定された%     いろいろな仮定の上で推定された%  頁岩         42−58              70−83   砂岩         14−40               8−16 石灰岩         18−29 5−14 「堆積岩は陸地の3分の2以上をおおっている・・・・。」 「1924年アメリカの地球科学者クラークは・・・深さ16キロまでの地殻 の5%を堆積岩が占めていると推定した。・・・1965年ホーンとアダムス はクラークの推定に達した。また他の科学者はそれよりいくらか低い数値を 得ている。」                 われらの科学シリーズ  地学   J・ギルリー 1971                                             平凡社  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー                      なお私はピラミッドの石が石灰岩だということを知らなかったので「白色泥岩」 と迷わず鑑定しました。そして、この石を石灰岩と鑑定するとは、よほどの間抜 けで地学などまったくやったことのない奴だな、と密かに笑い、ここの記事を読 んで吉村とは余程のアホだなと思ったのでしたが、ところが、あらゆる文献が「 ピラミッドは石灰岩」と断定していて、アホが私になってしまった。 なお石灰岩とは石灰石(カルサイト・炭酸カルシュウムCaCO3)を50%以上 (重量比)含む堆積岩を言う。(変成作用を受けて石灰石が再結晶したのが 大理石である。) 私が間違えたように、肉眼での鑑定(同定)は致命的なミスも起こる。希 塩酸の中に入れて5割以上が泡と共に溶けてしまえば、その岩石は石灰岩 と鑑定できる。(真っ白い石灰岩は95%以上が石灰石。) ギザ台地(砂の下60メートルくらいまで)やルクソールの王家の谷も全体がこ の岩石でできている。エルサレムの旧市街にある建物も、いやエルサレムの 地下岩体(基盤)も、総てがこの岩石でできている。 昔(地質時代)は雨も多かったろうに鍾乳洞や石灰岩地形が見られないのは 不思議。この石灰岩(?)には化石は探せばたまに見つかる程度しか含まれ ていない。巻き貝が主で河川起源の貝に私には見えた。 誰かピラミッドに塩酸をかけてみてください。私はピラミッドの石が石灰岩だな んて未だに信じられない。 ピラミッドの表面を飾っていた石(化粧石)は上質の石灰岩というのが定説の ようですが、私には花崗岩に見えた。第2ピラミッド(カフラー王)の上部にだけ 現在も残っているのだが、落ちてきたのを見ることができる。どう見てもカイロ 市内の地下鉄(の入り口)にあるのと同じ、アスワン産のレッド・グラニットだ。 この石はピラミッドの入り口や玄室の壁、祭殿など、大事な部分に使ってある。 真実に到達することの難しさを書きました。 真実に到達するにはもう一度エジプトへ行くしかない。

    天才少女

    「文毒入りカレー殺人 犯人は他にもいる」文芸春秋
    15歳の天才少女のレポート「文毒入りカレー殺人 犯人は他 にもいる」への批評です。中学生へ批評・反論を試みるとは大人 げないが、「天才少女」となれば話は違う。読み初めたときはあま りの内容に唖然とした。一流の研究者レベルと間違う程だ。どこ かの大人が中学生の名を使って発表し、さらなる社会の混乱と 攪乱を謀っている・・・なる説も有り得る。もともと文芸春秋はその 手の大御所だし。 「犯人は他にもいる」とする「他」とは医療関係者、保健所、警察 マスコミ、厚生省などを指し、ますみ容疑者以外にヒ素を混入した 犯人がいるという意味ではないようだ。 臨床経験や化学分析の経験がまったくない中学生にこんな記述 ができる筈がない、と凡人である私はすねてしまう。 「警察には、定量的な感覚がまるでないとしか言いようがない。」 なる記述がある。私が「定性」「定量」なる概念・感覚をはっきりと 得たのは大学2年頃だったと思う。だが私だって中学生や高校生 の頃は「理科少年」だったのだ。そのような感覚は実際に自分で 化学分析を試みて始めて身につく性格の概念ではないだろうか。 警察に定量的な感覚がないのも無理はないのだ。理学部教授を 何年もやっている先生に、「この先生には定性・定量的な感覚が まるでないとしか言いようがない。」という諦めを私は感じたこと があった。 しかしこのレポートを良く考えると、所詮は勤勉な中学生の論文 だという印象も受ける。「近頃の子供はわからん。」などと匙を投 げずに取り組んでみよう。 この事件で医療機関や保健所また警察のミス(文字通りの重大な 致命的過失)が叫ばれ責められるのはやもうえないだろう。第三者 たる天才少女や我々には彼らを非難し責任を追求できる立場にあ る。「それは結果論だ。」と一蹴されるべき性格の事柄ではない。 だが、患者を受け入れた病院側、保健所、警察の立場では、「あれ 以外には対処しようがなかったではないか。」とも思える。 このような事件は今回が初めてであり、毒物の解毒剤が病院に 用意されていなかったのはおかしい、サリン事件の教訓が生かされ ていない、 「世界中を震撼させた地下鉄サリン事件の時も、患者が担ぎ込まれ た多くの病院では処置が分からず、サリンの拮抗剤であるPAMの 備えがなかった。その教訓は全く生かされていない。そして今回全く 同じ弱点をさらけ出してしまった。」 などと言うのはお門違いである。 もちろん今回の事件を教訓にして 毒物・薬物犯罪・中毒にできるだけ対応できる医療体制を築く必要 があるのだが、それだって、今まで使われたことがない毒物や犯行 方法が選ばれれば処置なしだろう。 食中毒に関する認識も「所詮は勤勉な中学生」なる印象を受ける。 「食中毒」とは有害な物質が飲食物とともに摂取された時におこる 機能障害を言う。有害な原因物質には、細菌、自然毒、化学毒( 化学物質、金属化合物)などがある。ウイルスや寄生虫、また法律 で定められた感染症(赤痢、コレラ、腸チフスなど)は食中毒とは呼ば ない。青酸カリやヒ素による中毒も食中毒である。中学生が意味す るところの狭義の食中毒(細菌性食中毒)は感染型、食品内毒素型、 生体内毒素型に分けられる。食品内毒素型は毒素が多量に存在す る食品とともに摂取されるので潜伏期が短いことが特徴である。 カレーに使った材料がこれら毒素を多量に含み調理でも破壊され ずに食中毒を起こしたと保健所は考えたようで、誤った推論では ない。過去にアオヤギなどの例もあり、特に輸入魚介類肉類は要 注意である。肉を食べて気分が悪くなるのはこれにやられたため である。十分に加熱した肉でも細菌性食中毒になる。保健所はこ のような事情を十分把握していたと思われる。細菌性食中毒の毒 素型食中毒は化学物質による食中毒と本質は同じであり、その毒 の源が細菌か否かが違うだけである。腐りきってドロドロになった 肉(黄色ぶどう球菌で腐敗)を煮て食べれば誰でも直ぐに吐き出 すことだろうが、一方、一度完全に腐ってしまった肉でも殺菌・消 毒して悪臭を消し色と味を付ければ新鮮な肉として売ることがで きるのが現状だろう。 「カレーのスパイスの中には、殺菌、滅菌、防腐、抗酸化作用を もつものが多い筈。だからこそカレーは、食中毒を起こしやすい インドや東南アジアでの、食生活の知恵でもあった筈だ。」 と書き、調理後に食中毒菌が繁殖し、カレーが細菌からの毒素 で汚染された可能性を「このように見てくると、エンテロトキシンが 生産される余地は全くない。黄色ぶどう球菌による「集団食中毒」 の可能性は、幻でしかないのである。」と否定する。    しかし、夏にカレーを作って一晩おけば腐ってしまうことは 誰でも知っていることではないだろうか。カレーはいたみやすく、 夜に冷蔵庫に入れ忘れるとせっかくのカレーがパーになる。カレ ールーの主成分である唐辛子(チリー)には抗菌作用・殺菌作用 はまったく認められない。(私は以前自分で調べたことがある。 大腸菌、一般細菌ともに抗菌・殺菌作用はまったく認められなか った。ニンニクには強力な殺菌作用がある。しかしニンニクも腐 る。スパイスをたくさん使うと悪臭が消えて・隠されて腐った肉で も食べられる。菜食主義料理にスパイスがなければ味気ない。 途上国での生活の知恵だ。スパイス神話の現実はテレビやメー カーの宣伝とは異なる。) カレーの調理が終わったのは正午頃であり30−60分後には 食中毒菌の繁殖適温に達しただろう。味見をしたときに化膿菌 が指から多量に混入、5時間で大繁殖したと保健所が思っても 無理はない。十分ありえる話だ。 食中毒は年間30000名程報告されるが、その内化学物質による 患者は0.5パーセント程度であり、その上に集団食中毒とくれば 細菌性食中毒か毒キノコ以外には考えられない。(つまり過去に そのような例がない。) 保健所が細菌性食中毒と直ちに結論を出 したのは当然であり、あの保健所所長でなくても100人中100人 の保健所所長が同じ結論を自信を持って発表したことだろう。 過去の経験に基づいて判断するのがプロであり多くの場合はそれ が一番正しい。医師達が疑問に思いながらも敢えて異論を唱えな かったのも当然である。病院は研究所ではない。何者かが祭りの カレーに多量のヒ素を混入したなどという可能性を誰が考えられた であろうか。日本では加害者側くらいだろう。日本は平和な国だっ たのだ。 (なおこれら私の知識は1000円の雑誌に付いてきた百科事典か らである。期限切れのソフトを使ってしまって平凡社さんごめんな さい。) しかし今後はこのような安易な結論は保健所も医師も出さないだ ろう。 世の中は急速に変化している。過去には一度も起こらなかった事件 ・出来事が多発している。プロがプロの自覚と自信に溺れて中学生 に負けたのが今回の事件ではないだろうか。みんなでこの天才少女 に脱帽しよう。 これは日本再建への教訓にしたい事件だ。

    クローン人間

    もし私が大富豪で、クローン技術で自分のクローン(子供)を創れる ことが可能だと知ったら、きっと自分のクローンで子供を創ることを 試みると思う。倫理に反する? いや私はそのような倫理観は持って いない。宗教的に許される行為ではない? いや私はキリスト教やユ ダヤ教、イスラム教の「神が人間を創りたもうた。」 という宗教を 信じていない。  「人生は一度しかない。」 「人生をやり直すことはできない。」  「過去の失敗は取り返しがつかない。」 などという常識は自分のクー ロンを子供として何人も持てば、ほぼ消滅する。  自分とまったく同じ遺伝子を持った自分の子供に、過去の自分とでき る限り同じ環境を与え、同じ体験をさせ、同じ本を与え読ませ、また同 じ映画、マンガを見せ、同じ教育を与える。そうすれば肉体的な外観や? \力ばかりではなく、精神構造、価値観、人生観、知的能力、心などが自 分と殆ど同じになって成長する筈である。木から落ちて腕を折ってしまっ たとかいうような体験を安全にさせることは難しく、また明らかな失敗や 後遺症が残るような体験、悪いこと(犯罪体験など)は避けるから、きっ と今の私よりは優れた自分に成長するだろう。自分の犯した失敗を避けて 子供を育てればきちんとした自分、自分を越えた自分ができるかもしれな い。そうすれば老齢になって死ぬときも、事故や病気で死ぬときも、満足 して安心して死ねるのではないだろうか。自分ができな かったことは子供(クローン)がやってくれると信じられるから、もはや 死は存在しない。(自分のクローンでなくてもそのような心境で子育てを 終える親も多いと思うけれど。)  人類にとって、クローン(無性生殖)の出現とは新しい時代の始まりであ る。人類社会にとっても個人にとっても。人類に明るい未来を約束するか、 それとも自滅へ誘うか。    既に大勢の人達が自分のクローン造りを試みているだろうと思う。だが自 分への臓器移植用に自分のクローンを創るとしたら、それは明らかな犯罪だ。 クローンとは人間(ヒト)そのものなのだから。  オリンピック選手創造のためのクローンとか、1000000人に一人と いう特殊人体の持ち主(ランボーみたいな)のクローンを多数創って特殊部 隊をつくるのはクローン技術の軍事への第一の応用として考えられるだろう。 軍事技術に倫理も宗教も存在しないだろう。遺伝子組み替えで特殊能力を持 つ兵士も創れるだろう。(猫のように夜でも目が見えるとか、イヌのような 臭覚を持つとか、ゴリラのような体格・筋力を持つとか。)  ヒトのクローン規制とは一部勢力によるクローン技術の独占以外ではない ように思う。「ミサイルも人工衛星も許されない。」 と叫びながら自分は 何万発ものミサイルを持ち、使用し、太陽系外にまで届くロケットを打ち上 げているようなもの。  生物は無性生殖の時代が何億年も続いたろう。その後、遺伝子の多様性が 容易に出現するという面で、生物の進化や環境への適応能力、子孫(子供) に対する遺伝子の安定した伝達という事柄が有性生殖の方が有利となり、高 等生物では有性生殖が普通になった。環境が良い場合には無性生殖でどんど んと増え、環境が悪くなると有性生殖を行う奴もいる。人類は知能の力で環 境に応じて有性生殖と無性生殖を切り替えることが可能になったということ か。    大人になっても女を口説くことができないとか、年頃の女性が隣に寝てい ても理性が邪魔して手を出せないという奴(MASAみたいな)にとってク ローン技術は福音だ。今の世では悪貨が良貨を駆逐するがごとくに悪い遺伝 子がはびこる傾向にある。人類の未来を憂うならば何らかの対策が必要だ。 注   「クーロンではなくクローンですよ。     世界中の人が見る可能性があるので、すぐ直しましょう。     恥ずかしいので。」          なるご指摘を頂き直しました。 8/23 1999       clone はクロンが正しい日本語(広辞苑)のようですがクローン     の方が普通に使われているようです。英語など外国語の発音をカタカナ     にして日本語化するわけですが・・・難しい。

    臨界を越えた事故

    今回も、事故の後「もう終わった。これ以上の被害はない。」と言って、何も せずにほっといた。事故後の処理をしなかったのだ。そして手が付けられない 状態になっている。今どうなっているか全く不明だという。最悪の場合にはこ のまま核分裂が進み核燃料が爆発する危険すらあるのではないだろうか。「1 0キロメートル以内は屋内に避難。」などと悠長なことをいっていられる場合 ではない。                       23:00   10/1  阿修羅掲示板記事関係です。防衛庁では放射線防護服の開発にのりだすとい う産経新聞記事について。 阿修羅掲示板

    放射線防御服は可能か?

    No.6406 最も放射線を遮ると言われる鉛でもガンマー線を1/10に減らすのには10 センチメートル程度の厚さが必要だったと思います。中性子線の貫通力はガン マー線の比ではないような・・・・・。通常のシェルター(放射線を1/10 00に減らす。)も中性子爆弾には効果なし。通常の10000倍もの放射線 強度の事故現場に近づけるのはロボットだけ。強烈な放射線でも狂わないよう なロボットが必要。  財団法人 放射線計測協会(科学技術庁)では放射線測定器「はかるくん」 を誰にでも無料で貸してくれる。個人2ヶ月、団体5ヶ月。測定器の性能は一 流で待遇(?)は非常に良い。私の場合、一度借りたら1年後には頼まないの に再び送ってくれた。測定結果を報告する義務がある。  電話 029−282−0421   FAX 029ー283ー2157  「中古を2−3万円で。」と頼んでも売ってはくれない。                              10/4                              

    No.6406の修正・追加

    「放射線防御服は可能か? 」は「放射線防護服は可能か?」の間違い。  施設周辺(公道)で0.84ミリシーベルト/hを記録したそうであり、こ れは通常の16000倍。事故現場はどのくらいの放射線量になっていたの だろう。放射線強度は距離の二乗に逆比例して弱まるので、施設周辺(公道) まで100メートルあることから単純計算すれば、臨界事故が起きた沈殿漕か ら1メートルの地点の放射線強度は公道の10000倍、8400ミリシーベ ルト/hということになる。これは通常(0.05マイクロシーベルト/h) の160000000倍。(実際は遮蔽物があるのだからこれ以上だろう。) 「はかるくん」では最大10マイクロシーベルト(0.01ミリシーベルト) までしか計れないから、施設周辺(公道)の0.84ミリシーベルト/hとは どれだけ桁違いに高い値であったかが理解できよう。  なお今日のテレビ(ニュース・ステーション)では、東海村にいるアナウン サーがJCO付近の路上で、「現在は放射線は0.4あります。」と測定器を JCOに向けて言っていた。現在でも通常の10倍あるということだろうか。          「鉛でもガンマ線を1/10に減らすの には10センチメートル程度の厚 さが必要」は間違い。この「10センチメートル」は鋼鉄の場合で、鉛の場合 の資料を現在の私は持っていないが、3センチメートル程度で1/10に減ら せると推測する。(以下の資料から。)  放射線遮蔽に関する知識 放射線といっても色々ある。またガンマ線といってもその波長によって透過力 は大きく変わるようだ。  理科年表「単色X線の種物質に対する質量吸収係数」には各波長のX線に対 する単位質量当たりの吸収係数が載っている。     波長        鉄     銅       鉛   0.30       3.35   4.51   12.8   1.0       99.1   74.2    74.2   2.7      173    266     787  ガンマ線とは波長0.3オングストローム以下の電磁波であるので透過力は X線よりもずっと大きいことになる。波長によって透過力(吸収係数)がこん なに違っていては「ガンマ線を1/10にするのに必要な鉛板の厚さは?」  などという議論はあまり意味をなさなくなる。  ともかく放射線防護服とは厚さ10センチメートルの鉛で作らなければ1/ 1000に減らせないことになる。事故現場は通常の160000000倍( 8.4シーベルト/h)もの放射線量があっただろうから、たとえ厚さ3セン チメートルの鉛の服を着ても近づけたものではなかったのだろう。臨界が一応 収まるのを待って、18人の勇士(有志)が放射線を浴びながら交代で水抜き 作業をしたというの現実じゃあないだろうか。臨界状態が激しければ何百人も の被爆者を出して原子の火災消火を行わねばならなかっただろう。爆発する危 険もあったかもしれない。  No.6405の産経記事とは、防衛庁幹部(又は産経の記者)に放射線に 関する知識がない、放射線と放射能を混同している、ことを示している。放射 能防護服は可能でも完ぺきな放射線防護服など不可能だということを知らない。 たとえ厚さ3センチの鉛の服(重さは300sを越えるだろう。)を着ても、 ガンマ線でさえ1/10にしか減らせないのだ。  中性子線も含めた放射線に完ぺきに対処できる防護車や防護服 など現在も 未来もある筈がない。この恐ろしさを知ろう。  なお100レムは1シーベルト、100レムの放射線を浴びると吐き気や下 痢などの自覚症状が出る。50レムを浴びるとその1−2パーセントの人が最 後には癌にかかって死ぬ。  中性子線は同じ量のガンマ線に比べて10倍ほど多く人体に影響を与える。  3人の被爆した作業者の被爆量はそれぞれ、17、10、3、(シーベルト) と推定されている。彼らは事故現場で1時間程放射線に曝されていた計算にな る。6シーベルト(600レム)の放射線を浴びると9割の人が数週間以内に 死亡するそうだ。   (核兵器対策用戦車はガンマ線に一応対応できるようだが、アメリカは戦車部 隊攻撃用に中性子爆弾をつくった。)    日本人の半数以上は原発賛成派である。ここを読んでいる方にも原発賛成派 は多いだろう。黙っていないで何か・・・・。 「それでも原発は絶対安全です。悪いのは作業者です。設計者です。管理者で す。人間です。原発は少しも悪くありません。」   とか。                               10/5

    限界も越えた事故

    「科学技術庁や原発関連企業も、車両や衣服を放射線から完ぺきに 保護する手 段は持っていない。・・・防衛のための「核対 策」はまさに“ゼロ”からの出 発といえそうだ。」                           ・・・産経新聞記事  当たり前だろう。欲しければオウム真理教にコスモクリーナーを注文しろ。 安上がりで、防衛予算の浪費も防げる。  原発推進派の新聞記者とは原子物理を知らない人だろうか。今回の事故につい て多くの新聞がまともな社説を書いたが、福井新聞(福井県は原発銀座)だけは 例外で、原子力を知らない老人が書いたような社説を載せていた。 なお 危ないネタ掲示板
    には次のような投稿がある。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ふざけているのは、JCOだ。事故から一時間後の現場周辺の最高計測値は、一時間 当たり840マイクロシーベルトと発表している。ところが、同じ周辺で茨城県が 五時間後に計測した値は、時間あたり2〜4ミリシーベルトだった。840マイク ロというのは、0.84ミリシーベルトのことだ。五時間たってから、0.84が2 だの4だのまで、上昇するのか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この2〜4ミリシーベルトは中性子線の値だそうだ。  報道でも放射線線量に混乱があるようだ。ガンマ線なのか、中性子線なのか。 ガンマー線測定器では中性子線は計れない。JCOには中性子線測定器の備えがなく、 「中性子線を測定してみた方がよい。」という専門家の指摘を受けて午後になって 借りてきた中性子線測定器で中性子線を測り、その結果臨界が継続して起こってい るらしいことを知ったようだ。 東海村は原子炉や原子力施設が多いので町中にはモニタリング・ポスト(放射線を 常時測定しリアルタイムで村や県の中枢に送る設備)が多数設置されていた筈だそう だ。だからJCOからの通報などはなくても、事故と同時に高レベル放射線は観測さ れて通報されていた筈だという。ところがこのシステムも今回まったく作動しなかっ たようだ。JCOの問題ではなく、東海村や茨城県に、原子力事故に対する備えがな く、あっても無形化していることになる。今回のような非常時に住民が避難する場所 が通常の建物とは。  旧ソ連のチェルノブイリ原発では直接(直後)の犠牲者は原発職員二人と消防士 29人計31人だとされる。原発周辺30キロメートル圏内から13万5000人の 住民が避難したのだが、今回の日本の事故ではたった10キロメートル圏内に30万 人もの一般住民が住んでいた。信じられないことに東海村では原子炉も住宅地に隣接 しているのだ。  放射線(勿論ガンマー線)の平常値は0.05マイクロシーベルト/hであった り、0.1マイクロシーベルト/hであったりしている。 平常値とは平均値・通常値のことで、私の手元には科学技術庁(放射線測定協会) から送られてきた、「全国自然放射線マップ」がある。「はかるくん」使用者から 送られてきた測定結果37000の数値を統計処理したもので平成7年度と8年度 版がある。これによると茨城県の値は屋外で0.049マイクロシーベルト/hで ある。なお千葉県は0.033、東京都は0.035、秋田県・岩手県は0.02 5、岐阜県の辺りは0.065。私が測った値では木造家屋内は0.035、鉄筋 コンクリートは0.06、地下室・地下通路は0.11。(地下は地上の3倍もの 放射線強度がある・・・。毎日地下街で働いている人は・・。)  湖の上では空からの放射線だけになるので0.005程度。高度10000メー トルのジェット機の上では地上の50倍の2.0程度だそうです。(はかるくんは 宇宙線に対する感度が悪く、その結果0.2程度に測定されるとのこと。)  国内の温泉地では通常の場所の100倍程度が観測されることがあるとのこと。 その他、 東京日本橋の、ある古ビルの前    0.20 香港九竜のホテル内         0.15 某国原子力発電所タービン室内    0.40 ラジウム鉱泉マット(市販品)の上  1.1    などを資料として送って                          貰った。 東海村JCO前の公道(10/3)  0.54( グリンピースによる。)  放射線測定器とはいっても、総ての放射線(又は波長)に同じように反応する検 知器はあり得ないわけで、測定器の誤差(機器の差)は大きいだろう。測定方式に より100パーセント・200パーセントの誤差は普通かもしれない。また検知器 の感度は時間と共に狂ってしまうようで、購入後1年たった放射線測定器では信頼 できる測定はできないそうです。ゼロ調整で精度を合わせられるわけではなく、標 準放射線源を使用する専門的調整が毎年必要だそうで、放射線測定協会の「はかる くん」は毎年(いや、貸し出す前に)この調整をし、誤差を数パーセント以内にし て貸し出しているとのこと。 (放射線測定器を個人で購入しても、そんな物はあまり価値がないということか。 2年でセンサー部分の感度が1/3に落ちていたり、3倍に上がっていたりしてい て。)  今週の週間読売の記事では1レムは1シーベルトとしていて、一般人の年間放 射線許容量は100ミリシーベルトとされている。これなら沈殿漕の水抜き作業 で被爆した18名の勇士達も一般人の年間許容量程度の被爆で済んだことになり おめでたい。生命が危ぶまれている3人の被爆した作業者の被爆量も、実は殆ど 健康状態に影響を与えない程の僅かな量であった。彼らが将来癌で死亡する確率 も0.1パーセント以下である。特別な治療など必要ない。おめでたい。 ・・・二桁間違えていると思うのだが、週間読売が「プロはミスを犯さない。」 と、この記事で書いているのは御愛想か。原発推進派のマスコミとはこんなもの なのだろう。  平常値0.05マイクロシーベルト/hの放射線を一年間浴びれば、一年は3 65日、一日は24時間だから、一年は356X24=8760時間、で、0. 44ミリシーベルト、つまり我々は天然放射線を0.44ミリシーベルト/年、 浴びていることになる。  これは「はかるくん」で測った、宇宙線を除く天然放射線だけの場合。実際に は、プラス、宇宙線起源の放射線、プラス、食物起源の放射線(我々は僅かだが 放射能を食べているので)、プラス、医療で受ける放射線(1ミリシーベルト程 度)、プラス、原子力施設などからの放射線である。国際基準は2.4ミリシー ベルト/年だそうだ。  今回の事故は、原子力エネルギーとは我々(日本人)にとって、能力の限界を 越えたエネルギーであったことを示している。もはや限界を越えた事故である。  現在ある原発はある程度は稼働させ続けねばなならないだろうが、新規建設だ けは何としても止めねばならない。原発建設可否の住民投票をすれば普通は必ず 反対派が過半数(絶対多数)を占めるが、では東京に原発を造ることに決めれば、 東京都民だって原発反対派にまわるだろうか。危険度に東海村も青森県も東京都 も変わりはない。青森県民の命や健康が東京都民よりも軽い筈はないだろう。 東海村原発から300メートル離れて大勢の人々が暮らしているのだ。これに比 べれば臨海副都心辺りなど原発予定地として最適ではないだろうか。一般住民は 住んでいない。原発周辺で暮らしたくない人、働きたくない人は初めから近づか なければ良いだけの話だ。木造家屋も少ないから放射能漏れ事故が起きても室内 避難が有効だろう。 バブルが終わって埋め立て地は使い方に困っている筈だ。「東京に原発を造りた いのはやまやまだが建設用敷地がない。」などとヘボなことは言うな。東京湾を 埋め立てればいくらでも原発用地はできる。今でさえ余って困っているのではな いか。原発を20基ほど造れば東京都はこの原発だけで電力の完全自給ができる。 地震などを心配するに及ばない。日本の耐震設計技術、万が一の場合の安全管理 も世界一なのだ。いや、完璧な安全対策を講じて造れば良いだけの話なのだ。備 えあれば憂いなしである。原発景気に東京都は沸くだろう。ゼネコン不景気など すぐに吹き飛ぶ。脱原発に未来はない。東京都は日本の未来を背負うのだ。 確率論的安全評価(PSA)によれば日本ではレベル2以上の事故は数百年運転 しても一度しか起こり得ないのだから、今回のようなレベル4の事故など、もは や永遠に日本では起こり得ない。もんじゅの事故と再処理工場火災爆発事故で、 もはや日本でレベル3以上の原子力事故が起こる確率は数十万年に一度になって いたのだ。今では事故の起こる確率はゼロ以下の、マイナスではなくて(確率に マイナスは存在しない。) 虚数になっているのだから都民は安心して良い。確 率的に限りなくゼロに近くても、しかし事故の確率がゼロではないわけではない。 あり得ない数字・・・虚数が現在の事故の起こる確率なのだから、もしそれでも 事故が起こったら、その時はこの世界が終わるときである。 (原発推進の本「世紀末のエネルギー問題」1991年 竹内均編 を読んでい たらこんな馬鹿なことを本気で書いてしまったぞ。)  難しい理論はさておき、科学文明の恩恵を受けようとするならばリスクも自分 達で背負うべきではないか。東京都に原発を造るのであれば私は敢えて反対しな い。日本の英知と良識、及び富が集う、日本のエリート・東京都民に総てを任せ よう。  

    夜空に輝くお星様を叩き落とそう

     ある夏の夜、ごんべいさんは屋敷の庭で子供が長い竹竿を振り回しているのを見 かけました。 ごんべい   「そんなものを振り回して何をしているんだい。」 子供      「お空に輝いているお星様が欲しいんだ。どうしても届かない。」 ごんべい   「おまえ、馬鹿だなあ。そんな竹竿がお星様まで届くはずがないだろう。           お星様はずっと高いところにあるんだ。 」 子供      「・・・・・・・・・・。じゃあ、どうすればお星様を落とせるんだろう。          どうしてもお星様が欲しい。 」 ごんべい   「屋根の上に登らなきゃ。竹竿も二つに繋げるんだ。」 子供     「なるほど、さすがはごんべいさん。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  ビックバン理論に代表される現代の宇宙論と、コペルニクス以前の宇宙論の違 いとは、ごんべいさんとこの子供くらいの差しかないんじゃあないか・・・・・と いうのが、ここにおける私の考えです。  msnジャーナル 「科学の外交官」として神につかえる天文学者
    を読んで、私は「やっぱりな・・・。」という感想を持ちました。  人間にとって本質的な好奇心の対象であり、しかし、一銭にもならない、且つ、 膨大な研究費を要する研究対象・・・これが偏見のない研究になり得るでしょう か。その社会が必要とする結論を導くためだけの研究に留まっているのではない でしょうか。研究者とは支配者による支配下から脱することは不可能な身分なの です。  このようなことは芸術家についても同じかもしれません。ゲルニカを描いたピ カソは大天才芸術家になりました。しかし、もしも「原爆」や「東京大空襲」を 題材(モチーフ)にしていたら、ピカソの名は世に知られることはなかったかも しれません。きっと悲運な末路を辿ったでしょう。  現代の標準宇宙論であるビックバン宇宙論とは現在の宇宙とは100−200億 年前に起こった爆発で始まったとする説です。そして、このまま膨張を続けるか収 縮に転じるかは不明であっても、現在でも膨張中であるとします。この理論は仮説 の段階は過ぎ「事実・真実である。」 と大多数の科学者いや現代社会に信じられ ています。(・・・・信じられている、とされています。) 確固たる証拠も多数 あるとされます。  「ビックバン宇宙論」とは大多数の科学者から「矛盾なく観測事実を説明できる。 」として支持され、将来もこれに代わる「宇宙論」が登場することはまず考えられ ないとされています。  一方で、須藤靖氏は「宇宙の大構造」 培風館 1992 のまえがきで次のよ うに書いています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・・・この問題も、決して最終的な答えが得られているものではない。それどころ か、現在の我々が持っている説のどこかに大きな矛盾があると考えられているので ある。しかしこの描像は、世界中の数多くの天文・物理学者のたゆまぬ研究・競争 によって構築され、塗り替えられている最前線のものである。当然これから紹介す る内容も、いずれ書き換えられる運命にあるだろう。ただ、本書によって、現時点 で宇宙論学者の考えている、宇宙の構造形成の大シナリオの一端を紹介できればと 考えて、筆を取った次第である。・・・・・・・ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  自然の研究者なる者はこのくらいの謙虚さが最低限必要なのでないでしょうか。 己を知ることが自然・宇宙を知る第一歩でしょう。我々が決して見ることができな い世界、想像すらできない世界だって「実在」することを認めるか、認めないかな のです。そのような存在を「神」と見なす態度は科学的ではありません。  以下、「最新宇宙論と天文学を楽しむ本」 1999年 11月15日 PHP出 版から引用します。監修者は佐藤克彦東京大学教授、「インフレーション理論」 の提唱者の一人であり宇宙論研究で世界をリードしていると紹介されています。  原稿作成は(株)オリンポスの中村俊宏氏。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  宇宙は、約140億年前、無の中から生まれました。無と言っても、まった く何もない完全な無ではなく、無と有との間を揺らいでいる状態です。このと き、まだ時間も空間も生まれていません。宇宙が生まれるということは、時間 や空間そのものが生まれることを意味するのです。 そして、虚数の時間という不思議な時間において宇宙は生まれ、実数の時 間にポッと表れてきました。虚数とは二乗するとマイナスになる数のことで、私 たちの身の回りにある実数二乗すると必ずプラスになる数)と対置される数です。 いわば虚数は想像上の数であると言えるのですが、この虚数の時間(この世の時 間とは異なる時間)において宇宙は生まれ、そして突然実数の時間つまりこの世 の時間の中にある大きさを持って出現しました。これが、私たちの知る時間と空 間が生まれた瞬間だと言えます。  当初非常に小さかった宇宙は、生まれるとすぐに急激な膨張を始めました。 この膨張をインフレーションと呼びます。物価水準が急上昇するおなじみの経 済用語から名づけられたものです。この急膨張は、真空が持つエネルギーによ ってもたらされたと考えられます。真空も完全な無ではなく、エネルギーが存 在できるのです。 そして後に星や銀河を生み出す種となる「密度の揺らぎ」が、インフレーシ ョンによって一気に引き伸ばされ、こんにちの宇宙にグレートウォール(187 ページ参照)のような何億光年もの巨大な構造ができる素地を作ったのです。                            212ページから ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  この「定説」とは「信じる」という思考法以外に我々は受け入れることができ るでしょうか。私には信じることができない。理解することなど論外です。  ビックバンの前には何があったか?     何もなかった。物質もエネルギーもなかった。時間すらなかった。    この宇宙(ビッグバン宇宙)の外には何がある?      何もない。時間すらない。我々の認識を越える世界があったとしても我々     人間には永遠に知ることはできない。そのような疑問に我々は永久に答え     られないのであり、自然科学の対象にはなりえない。    何故そのような大爆発が起こったか。そのような大爆発のエネルギーとは何であ  るか。何故を問うことが許されないにもかかわらず、しかし・・・これらに答え  ることができる人達が存在しているのが不可解。  いったいこれは科学なのか宗教なのか。ビックバン理論とは聖書にある神による 天地創造を科学の装いで記述しただけの宗教科学・・・。 ユダヤ教・キリスト教を源流にする西洋哲学の世界観を、我々東洋人が何故黙って 受け入れねばならないのでしょうか。  天文学や天体物理学は自然科学ですが、宇宙論とはそもそもが自然科学ではない とも言われます。自然科学的な態度で望むこと自体が誤りでしょうか。     ユダヤ教から始まった西洋哲学ではこの世界には始まりと終わりがある。時間は 直線的に流れる。我々人間(人類)は世界の中心にいる。宇宙・世界は有限である。 総て聖書創世記に記されたように。  東洋哲学の主流ではこの世界には始まりも終わりもない。時間は無限に流れる。 宇宙・世界に果てはない。我々人間の存在とは、大海の片隅に生じた泡粒以下であ り以上ではない。200億ー400億光年程度の広がりと130億年程度の歴史を 持つであろう我々が見ることができるこの大宇宙も、大海の片隅に生じた泡粒以下 であり以上ではない。このような宇宙・世界は無数に存在し、現代の我々が観測し たり認識したり、想像したりできる大宇宙(ビッグバン宇宙)とは、その中の一つ、 泡の一つである。130億年前にビッグバンがあったとしても、それ以前にも時間 や空間は当然存在した。150億年も、200億年も、2000億年も、2000 0億年、いや20000兆年前の世界だって存在しただろう。それがどのような世 界かを我々は知ることができない(想像すらできない・・我々と同様な世界が続い ていた、続いているかもしれない・・という想像はできる。) だけである。  ・・・・・・・・・・・ これが仏陀の説いた世界観、宇宙論でしょう。  宇宙には中心がない(宇宙原理)とは宇宙の何処でもが中心と考えることができ るのではなく、宇宙の何処も中心と考えることはできないという意味でしょう。こ の違いは大きいのです。  しかし、ビッグバン理論の立場では東洋哲学やブルーノな唱えた時間的・空間的 な無限宇宙は前世紀の遺物とされます。いえ、逆に西洋哲学は不変・無限の宇宙論 であった、アインシュタインも初期はこの哲学に捕らわれていた・・・・というこ とにまでされています。  ビッグバン理論が正しいことの証拠は次の3つであるようです。  A  ハッブルの法則・・・遠方にある恒星、銀河、銀河団などの天体が地球か    らの距離に比例した速度で後退している。     (総ての天体は地球から後退しているように観測されている。)  B  3K宇宙背景放射・・・ビッグバン理論が予想した3度Kの電磁波があらゆる    方向の宇宙から観測される。     (正確には2.7度Kの黒体放射スペクトルに相当する電磁波、波長は20     センチー0.1ミリ メートルまでプランク分布する・・・を説明できる     理論は現在のところビッグバン理論しかない。)  C  オルバースのパラドックス・・・宇宙の大きさが無限、時間も無限、星の    数も無限であれば夜空は太陽のように輝く筈である、いや地球が受ける恒星    からの光の量は無限大になり地球も存在し得ない。従って宇宙の大きさは有    限で宇宙の時間も有限でなければならない。ビッグバンが必然的に必要にな    る。    (宇宙の大きさが無限、時間も無限、星の数も無限・・・にもかかわらず夜     空が暗い理由を説明する理論が未だない。オルバースのパラドックスを破     った科学者が未だいない。)  私はビックバン理論を否定する立場から、これら A B C について、誤りが 無いか、故意的なこじつけがあるのではないか、ビックバン理論以外でも説明でき るのではないか・・と常識的な知識で論じます。始めに 「オルバースのパラドッ クス」から。   C  オルバースのパラドックス  確かにいろいろと計算してみても地球から見た宇宙の半径が大きければ大きいほ ど地球が受ける光量は地球からの半径に比例して増加し、無限であれば無限大にな ります。星間物質(星間ガス、雲、塵)が恒星からの光を吸収していても、吸収し たエネルギーと同量を放射せねばならないので恒星からのエネルギーの総量は無限 大になってしまいます。  では宇宙は無限大ではないとか、恒星は遙か昔は輝いていなかったとするしかオ ルバースのパラドックスは解き得ないのでしょうか。それとも、我々の知識や知能 が至らないためだけではないでしょうか。オルバースのパラドックスが解けないか らといって投げ出してしまうのはあまりにも幼い態度ではないでしょうか。「オル バースのパラドックス」はビックバン理論の証拠にはなり得ません。ビックバン理 論で「オルバースのパラドックス」を解くことができるというだけです。  神の存在は我々の苦悩や喜び、世界の総てを説明します。だが、我々の苦悩や喜 び、またこの世界があることを理由に、神の存在を信じられる方々は神の信者達だ けでしょう。  光のエネルギー(電磁波エネルギー)はエネルギーの一形態です。星間物質に吸 収されて熱エネルギーに変わるのであれば、再び電磁波エネルギーとして放出され なければならないでしょうが、一部が運動エネルギーなどに変わったらどうでしょ うか。光子ロケットの発想にあるように、光を発する物体は運動エネルギーを得、 逆に光りを受ける物体も運動エネルギーを得ています。星間ガスの固まり(いや銀 河でも良い)に右から恒星の光が当たれば星間ガスの固まり(銀河)は左に運動・ 移動するでしょう。左から当たれば右に移動するでしょう。上下左右から同量の光 りが当たっていれば、光から得る運動エネルギーはないでしょうが、僅かでも違っ ていれば星間ガスの固まり(銀河)は運動を始めるでしょう。万有引力による収縮 を始める前に光のエネルギーが星間ガスの吹きだまりを形成することになったかも しれません。また地球を始めとし銀河、銀河団まで、多くの天体は回転・自転し角 運動量を持ちますが、そのエネルギーの源は光エネルギーからでしょう。  星間ガスや塵が集合し収縮して恒星や惑星ができる。その(集合)エネルギーの 源とは万有引力と共に光エネルギーであり、宇宙という閉じた系で、星間ガスや塵 が集合し、星が誕生し、燃え尽き、爆発して、再び星間ガスや塵に帰るという永遠 のサイクルが成立しえます。  光エネルギーは熱エネルギー(原子・分子の振動)に変わる以外は不滅・不変で あるという前世紀の物理学ではオルバースのパラドックスは解き得なかっただけだ と思います。宇宙では光エネルギーが核エネルギー、即ち質量(物質)に変換され る過程がある可能性だってあります。(これらは未だ知られてはいませんが、実験 室では高エネルギーの電磁波・・ガンマー線・・からは物質が創られています。)  この宇宙には大小無数のブラックホールの存在が予想されています。ブラックホ ールへ落ち込んでいる光はどうなるのでしょうか。重力エネルギーを得て光子のエ ネルギーは限りなく増大し、物質化がおこることでしょう。恒星における核融合と 反対の現象がブラックホール内部では進行していると考えられます。ブラックホー ルは拡大と融合を繰り返し大宇宙を呑み込むでしょう。そしてある日突然大爆発を 起こすのかもしれません。  これが我々が信じている大宇宙なのでしょうか。  ビッグバン宇宙論の前提として「宇宙原理」があります。宇宙原理とは宇宙は一 様且つ等方であり中心とか端はないとする考え方です。しかし、「原始宇宙は13 0億年前、一点に凝縮された火の玉であった。」 とすると、「宇宙原理」は破ら れていることになります。空間的に一様且つ等方ではなかったのですから。  我々にとって空間と時間は全く異なる概念ですが、物理的には同一であるとされ ます。であれば「宇宙は一様且つ等方」とは時間に関しても成立しなければならな い原理であるわけで、この宇宙に始まりという瞬間・時間などある筈はないのです。 あるとしたならば極小部分だけを取り出して、「ここが始まりだ。」 と我々が勝 手に主張しているにすぎないのです。  その極小部分とはこの大宇宙の歴史、130億年であるのでしょうか。  地球外を十分観測することができなかったり、又は地球外に飛び出したりはでき ない時代には地球だけが宇宙の総てでした。地球の歴史が宇宙の歴史でした。大部 分の我々は地球だけの実在と歴史で満足していたのです。地球の外は神の領域だっ たのです。そして、このような宇宙論・世界観はユダヤ教・キリスト教・イスラム 教などの宗教には好都合だったのです。

    禁じられた質問

    「ビッグバンはなかった」 「ビッグバン危うし」 という本を読むことができた。 この2冊はアメリカの科学ジャーナリストの著作で1991年頃に書かれている。 「ビッグバンはなかった」 エリック・J・ラーナー は科学における唯物論宣言 、いうなれば「共産党宣言」、「資本論」、「空想から科学へ」というところか。 私にとってこの10年で最高に心が躍った本になった。当然であろうが評判は悪い らしい。この種の内容を現代の学生や自然科学研究者に求めることは、・・・・・ ・・・・うまい喩えが見つからない・・・・・・程に愚かなことだろう。  コンノケンイチの「ビッグバン理論は間違っていた」 という本も読み終えた。 この本はコンノ氏も書いているように「ビッグバンはなかった」 「ビッグバン危 うし」を紹介したような内容である。「おまけ」もあるが「おまけ」以上の意味・ 価値は見いだせない。 ビッグバン理論の御本家とも言える本も読み終えたので引用・紹介する。ビッグ バンの神髄が良くわかる本だった。  「誰が宇宙を創ったか」 ロバート・ジャンストロウ BLUE BACKS   1986年 副題は「はじめて学ぶ人のための宇宙論」    原題は「GOD AND ASTRONOMERS」 (神と天文学者達) 1978年  著者は多才・天才な方で、18歳でコロンビア大学卒業、4年後には物理学で 博士号を得る。すぐに教授生活に入り、宇宙科学に移った後はアメリカ最初の 人工衛星計画に参加。NASAに入ってからは理論部門のリーダー、現在(1986年) は名門校ダートマス大学で教鞭をとり、優秀なテレビ解説者として常に天文・宇宙 科学の啓蒙に努めている。  以下はエッセンスの引用である。  「では、天文学的な証拠が、聖書にある世界の始まりとどう繋がるか見てみよう。 創世記についての聖書の記述と天文学の説明とでは、細部は異なっても本質は 同じである。即ち、(天地創造から)人類に至る歴史は、ある特定の瞬間、まった く突然、光とエネルギーの一瞬の炸裂に始まったのである。」                                                   14p  「科学者は「無知の山々」を登ってきた。その頂上をまさに征服しようとしてい る。最後の岩を越えようとして身体を引き上げる。そのとたん、何世紀もの間ずっ とそこに待っていた神学者たちの一団から、歓迎の挨拶を受けるのだ。」 142p  「いまや天文学者達は宇宙がいかにして始まったかについてたいがい意見が 一致した。だから彼らが次に語るべきことは、宇宙がいかにして終わるかである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 手に入れられる限りの証拠に従えば、宇宙の終わりは暗闇にいたるであろう。」  (暗黒物質などを総てを加えても宇宙膨張を止めるに足る密度の1/10にも 達しない。」と 博士は結論している。                                            148p  特別寄稿 NASA(米国航空宇宙局) ジョン・A・オキーフ博士 「新しい宇宙論が神学に与えた衝撃」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 天文学的な基準からみれば、私たちは、多くの被造物の中でも甘やかされかわい がられて、わがままに育てられた一団なのだ。ダーウィン進化論の信奉者は、そ れは全部自分たちでなしとげてきたと主張するかもしれないが、笑止千万だ。そ れはちょうビ、赤ん坊が勇敢にも自分の足で立とうと母親の手を拒否してがんぼ っているのと同じくらいにかわいらしく、かつ馬鹿げている。もし仮に、この宇 宙がこんなに最高に厳格精密につくられていなかったならぼ、私たちはけっして 生まれてくることができなかっただろう。これらの事情は、人間がそこで生きる ために宇宙が創造されたということを示している これが私の見解だ。 それなら、今日の宇宙論と過去の神学者たちの宇宙論とが似ているのは、単なる 偶然ではないことがわかる。迫去の人々がぼんやり見たものを、物理学や天文学 の進歩のおかげで、今日の私たちはもっとはっきり見ているのだ。だが、同じ神、 同じ創造主を眺めているのである。                                             161p ーーーーーーーーー 液体状の水がなければならない。炭素がなくてはならない。星は長生きしなけれ ぼならない。星からのエネルギー放出の速さが変化してはいけない。惑星はその 星から適正な範囲内の距離になければならない。その惑星には水と陸がなけれぽ ならない。そこは長時間にわたる過度の隈石の直撃を受けてはならないー等々。 これらの諸条件が宇宙のすべての惑星で満たされるようなことはない。もし、各 々の条件が10に一つの惑星だけで満たされるとするなら これは理不尽な見積 もりではない 、そしてこれらの必要条件はほんとうに分離されているとするな ら、22の条件をすべて同時に満足する惑星を見つける可能性は、10分の一を 22回掛け台わせた1/10**22である。これは、宇宙でただ1つの惑星だ けが知的生命を生むらしいということを腎味する。それを私たちは一つ知ってい る。地球だ。しかし、他にたくさんあるのかどうか、はっきりしない。たぶん一 つもないだろう。                                         171p (ここではこの宇宙に存在する知的生命体は唯一我々人類だけだとの主張が なされている。そして、仮に他にもいたのであれば、彼らは原罪を持っているだ ろうか、彼らの救いはどう考えるべきか、我々はアメリカ大陸やオーストラリア への布教でこれらの問題を解決した・・・・・・なんて書いている。) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以下はMASAによるこの本の要約。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  「誰が宇宙を創ったか」・・・・言うまでもない「神」である。ビッグバンが 起こったことが科学的に証明された。これは「神」の存在と、「神」による天地 創造が科学的に証明されたことを意味する。我々人類は20世紀の後半、ついに 神の存在を科学的に証明したのだ。偉大な仕事をやり遂げた科学者達を讃えよう。 「ビッグバンはなかった。」 とは「神」の存在と「神」による天地創造を否定 することと同値である。ポア。時代が時代ならば火焙りの刑だ。現代だって国が 国ならば神への冒涜は極刑に処せられている。  日本の学者方、君らの任務は兵站だよ。戦闘はいかん。ようやくプトレマイオ ス宇宙論に代わる、神による神のための宇宙論が成立したのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  ビッグバン宇宙論の学習は神学(ユダヤ・キリスト教系の)を学ぶことから始 めねば。でなければその神髄が理解できる筈がないだろう。 ビッグバン理論では何故ビッグバン以前の世界を問うことが許されないのか。言 うまでもない、それは禁じられているからである。神の創造物である我々に世界 の創造(ビッグバン)以前の歴史を問うことが許される筈がない。敢えて問われ れば「何も無かった。」 が唯一の答えであろう。  科学とは観測や実験に基づいて思考を行うのであるからビッグバン以前の世界 やビッグバン宇宙外の世界(150億光年以上離れた宇宙)は研究対象に成り得 ないとする立場もある。だが、それならば「ビッグバン以前やビッグバン宇宙外 のことは我々には全くわかりません」と言えば科学的であるのに「何もありませ ん。時間も空間もありません。」とか「そのような質問は許されない。」とする のがビッグバンを担ぐ科学者であり、もはや科学者なる身分を放棄した方達だろ う。 (ビッグバン理論で観測や実験に基づいた思考が行われているわけではないだろ うが。)

    世界の論争・ビッグバンはあったか (立花隆 VS 近藤)

     この題名の本は日本生まれ日系アメリカ人、近藤陽次 氏 によって日本語で 書かれていて読みやすい。ブルーバックス(講談社) 2000年 8月20日  発行。 近藤陽次氏は次のように紹介されている。  1933年日立市生まれ。1965年ペンシルベニヤ大学天体物理学博士課程 修了。同大学助教授を経て・・・・NASAジョンソン宇宙センターで天体物理部長 を務めその後・・・・・・・・・・ヒューストン大学、オクラハマ大学等の教授 を兼任・・・というからアマチュア科学者でも単なるジャーナリストでもない天 文学の専門科学者であろう。一応公正な立場でビッグバン宇宙論(有限宇宙論) と準定常宇宙論やプラズマ宇宙論(無限宇宙論)について論じている。この本は 「ビッグバンはなかった」 「ビッグバン危うし」 という本とは独立した内容 であるが、論旨は同一である。何故か英語では出版されていないようだ。  「脳とビッグバン」 立花隆  朝日新聞社 2000年 6月30日   立花隆氏は1940年長崎県生まれ。日本を代表する評論家である(あった)。 科学ジャーナリストとしても活躍している。 (オウム事件後身体の不調を訴えていたが東大教授として迎えられて御用評論家 としての安定した地位を確保したようである。)      この最近発行されたこの2冊で「ビッグバンは実在したか、という論争は存在 するか。」を考えてみよう。  立花隆氏は次のように書いている。(31p) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  もちろん、3K放射の発見の後でも、そんなものは、ただの雑音電波だよ。 宇宙にはたくさんのゴミがあって、それが雑音を出しているんだと、ビッ グバン理論を信じない人々が一般人だけでなく専門の学者の中にもいた。 しかし、次第にビッグパン理論以外には、さまざまな観測と整合する宇宙 起源論を作るることができないということが認められるようになり、いま では,大文学者、天体物理学者のほとんど全部が、ビッグバン理論を受け 人れている。書店の店頭などには、”ビッグバン理倫のウソ”とか。”ビ ッグバン理論の危機"などいったタイトルの書物や雑誌記事がならんでいた りするので、ビッグバン理論はまだまだ中身があやふやなのかと思ってい る人もいるかもしれないが、実際には、ビッグバン理論を信じないという 専門家は事実上いなくなっている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  立花氏は「信じる」という言葉を使って科学者(専門家)のビッグバン 理論へ立場を述べている。  一方で近藤氏は 前書き(はじめに)で次のように書いている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  読者は、ビッグバン理論が、すでに確立された正しい学説だと、信じてお られるだろうか? もし、そうだとしたら、本書の題名を、少々奇異に思われ るかもしれない。現在、ビッグバン理論は、科学の専門家たちにも、また一 般読者向けの科学記事を書く記者の人たちにも、主流派もしくは正統派と見 なされている。だから、読者が、ビッグバン理論が正しいと信じている数多 くの人たちの一人だったとしても、驚くにはあたらない。 しかし、じつは、ビッグバン理論が本当に正しいのかどうか、結論が出てい るわけではないのだ。みんながそう思っているからといって、必ずしもそれ が正しいというわけではないという例は、この世には無数にある。 どの宇宙論が正しいかという結論は先に預けて、先入観をもたずに、この本 をまず読んで、その内容を熟考していただきたい。本書の目的は、ビッグバン を否定することでも支持することでもない。したがって、読後に、やはりビッ グバン理論が正しいと思われる方があれば、それはそれで無論結構だ。結論が どうなるかはともかく、もう一度宇宙論そのものを、じっくりと考え直してみ ようという人が出れば、本書は、その肝心な目的の一部を達したものと考えた い。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  そして 次のように結んでいる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これから100年、いや1000年くらいたって、もっともっと優れた観測資料や、 テスト済みの新しい物理理論が出そろった段階で、インフレーション・ビッ グバン説、もしくは準定常宇宙説のいずれかが、少なくとも原理的には、正 しいとされる可能性は、果たしてどれだけあるのだろうか? そのときまでには、まったく新しい宇宙論が生まれている可能性のほうがず っと大きくはないだろうか? その答えがわかっていない現在、競合する宇宙論を「百花斉放」させ、我々 としては結論を急がずに、考えられる限りの可能性を追求することが、健全 な科学の進歩にとって、望ましいものと思われる。 ここでブラーエのことを思い出していただきたい。彼の優れた観測資料から、 ケプラーの惑星運動の法則が生まれ、さらには二ユートンのカ学や万有引カの 法則につながっていき、結果としては、地動説を確立することになろうとは、 彼は思ってもみなかったはずだ。 科学の進歩は、いつも直線ではなく、むしろ試行錯誤のくり返しであること が多く、思いがけない方向に進むことがよくある。 我々の研究成果は、必ずしも、常に最初の目的に達するものではない。だが、 長い目で見れば、結果としては、宇宙と自然をよりよく理解できる方向へ向か っていくものと思える。大事な点は、結論を早まらずに、偏見のない自由な精 神をもって、未来へ進むということだ。無論、これがけっして容易なことでは ないことはわかっている。 近年、科学研究が発展して、宇宙に関する知識が、非常な速度で拡大された。 だが、宇宙には、まだまだわからないことのほうが多い。だからこそ、科学研 究は、やりがいがあるのだし、有能な新しい人たちの参加が、さらに熱望され る。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  立花氏の書物によれば、「ビッグバン理論は正しいか?」 という問いに対し て、イエスが99%、ノーは0%、保留が1%だという。(理論天文学懇談会で の調査 1992年 ) では少なくても専門家のあいだでは 「ビッグバンは 実在したか、という論争は存在するか。」 という論争に対しては 「存在しな い。」ことになる。  つまり、はじめからビッグバンは実在することが前提になった議論をしている わけだ。2チャンネル掲示板でもビッグバンの話題は尽きないが、科学的論争に はなりえないようで、罵倒しか返ってこない。無神論者にとっては、宇宙に果て が有ろうが無かろうが、宇宙に始まりが有ろうが終わりが無かろうか、どうでも 良いことである。莫大な(天文学的)予算を使い研究したり、罵りあったり、論 争相手を火焙りにしてまで決着をつけねばならない問題ではない。火焙りにされ そうになれば「私が間違いでした。」と神に誓って嘘を言うことだってそれほど 非難されることじゃあない。 ところがユダヤーキリスト教系の方々にとっては命よりも大事な大問題なのだ。 神が存在するか・しないかという問題に直結する問題、是非とも決着をつけて、 且つ、是非とも勝たねばならない論争である。このような論争に勝敗は明らか ではないだろうか。  莫大な国の予算を使って行われるこのような科学研究も、現代は科学が政治権 力・権威の中心に据えられた時代だと言う点を考慮すれば自然な成り行きか。  古代・中世に建てられた壮大な宗教建築物、ゴシック建築の数々、・・・・こ れらに現代の科学研究建造物を喩えた文章を読んだことがある。大型加速器、宇 宙の彼方を見る望遠鏡、ニュートリノが質量を持つかどうかを調べるカミオカン デなど・・・技術的応用が未知の分野への膨大な投資・・・これらは公共事業と 呼ぼうか、それとも神の存在を誇示するだけを目的とする宗教的建造物に等しい、 純粋な科学権威の象徴だろうか。このような研究には失敗ということがない。原 子力事故やロケット打ち上げ失敗のように科学者・研究者、科学の権威は傷つけ られることがない。  
    禁じられた果実へ                             
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