高遠城たかとおじょう 長野県伊那市高遠〔1/25000地形図〕信濃溝口
白山はくさん〔別名〕白山観音
五郎山ごろうざん
山田城やまだじょう866m
山田城新城やまだしんじょう〔別名〕城山937m 〔三角点〕三等〔点名〕河南
20070419(木)晴れ

このところ毎日のように、県内のサクラ、どこどこが見ごろ・満開と報じられている。県内はもとより、全国的にも有名な高遠の サクラだが、自分はまだ見たことがない。高遠には過去に二回ほど行ったことはあった。 県内在住者としては、一度は見ておいても良いだろう、と出かけることとした。 ついでに、高遠方面の城跡探訪もしてくるつもりである。

【道順・駐車場】
・高遠城:松本市、塩尻市、伊那市、高遠町から道標に従って高遠城臨時駐車場まで(赤い橋の天女橋の下にある:無料)。松本から52k。
・山田城:高遠町下山田区、高遠町第四保育園駐車場。
【コース・時間】
・高遠城臨時駐車場7:50→天女橋→高遠城→白山橋→林道長谷高遠線→9:25白山観音9:30→10:00五郎山10:10→ 10:40白山橋→10:55高遠城→11:20着
・高遠町第四保育所12:30→山田城12:45→13:05山田新城13:10→13:20山田城13:25→13:35着

高遠城サクラ祭り臨時駐車場から自転車で出発した。赤く塗られた天女橋を渡り、高遠城歩行者用の登り口に自転車を くくり付けて、お城への階段を登る。 少し登ると大手門跡があった。ここからは 城域となって、三の丸、楼門と満開のサクラ が続く。露店も、おそらく100軒以上だろう。 国の指定史跡、進徳館(旧藩校)を見学 して、二の丸・本丸への入口に着く。 サクラはどこからでも見れる、中に入ることもなかろう、と中には入らず。 過去、二度きているから、まあ、いいだろう。 お城の堀に沿って歩く。堀のかぶさるようなサクラも 中々見事である。歩くと初めて目にするものがある。個人の敷地の玄関先にそれはあった。 「なになに、黄金水井」。しかも高遠の三名水だ。もらった城址公園案内図には載っていないではないか。 聞くと、水深は案内に書かれているよりも深く、水は今も使っているとか。 武田も織田も勘助も、その後の城主も飲んだかも 知れない水だ。 今が売りの「信玄ゆかりの・・・」 の一つでもある。 せっかくだ、案内図には載っていないので、 それなら一応、我輩のHPに載せておこう。

絵島屋敷を見学して、白山橋を渡る。 お城からも見えるが、川を挟んだ反対側に観音像が立っているのが見える。 白山橋から高遠ダムに沿って行く。この辺りのサクラも見事である。国道152号線に出る手前に 「五郎山入口」の道標があるので、ここから林道長谷高遠線に入る。S 字カーブの林道をショートカット する山道もあった。入ったが大した差はない。 林道に「白山観音入口」の道標があった。400mとある。ついでだから寄って見るか、と山道に入った。 もしかして、白山観音から五郎山へと続く尾根道があるのでは、と思った。 高い鉄柱の上に観音様の立像が立てられていて、 足元に四角形の石があった。なんだろう。 文字が刻まれているが、大勝○○○○と 一部しか読めない。 白山観音からは高遠城が良く見える。 これはあとで分ったことだが、 高遠城攻撃の総大将織田信忠は、三峰川を挟んだ反対側の白山に登り、高遠城の様子を検分した。 とのことである。また、高遠城の撮影ポイントでもあるらしく、ここから撮られたサクラ満開の高遠城の写真も 良く見られる。攻める方が物見に使ったなら、守る方も誰かを物見に派遣したと考えられる場所だ。

ここから直接、五郎山へ行く道はない。 しばらく林道を行く。 馬頭観音などの石造物群があって、その先で 「ごろうざんコース」の道標があった。 この緑の文字で書かれた道標は、このあと 的場城や月蔵山でも見たのと同じ形の ものだった。 少し登ると東や・石碑・仁科五郎盛信像・石祠 のある五郎山に着く。 TVにあわせてか、 風林火山武田信玄公ゆかりの地として、 幟がはためき、新しい 解説板が立てられていた。 ところで、ここから白山と高遠城が見えるが、 仁科五郎盛信像のその視線の先は、 高遠城ではなく、 甲州の方向を向いているのに 気づいた。 四等三角点「五郎山」がある本当の 山頂は、ここよりまだ先だが、 今日は行く気はない。 帰りは、以前登ってきたコースを下った。 コース中に盛信と共に戦死した 小山田備中、渡辺金太夫、諏訪はな、諸士の墓 の祠がある。 下りついたところが勝間地区で、見事な シダレザクラがある。そして、往路を戻る。 次に山田城に向う。高遠町下山田区の案内看板に山田城址が書かれていたが、何処から取り付けば良いかが分らない。

適当に見当をつけて山側の道に入ると、高遠町第四保育園があり、その駐車場から山に向っている道があった。 真っ直ぐ登ると、イノシシ防止柵があった。下をくぐって用水路沿いを左に行く。橋が渡してあるところから 右折して尾根道に取り付く。少し登ると、堀切で仕切られた二つの郭がある。 右手から良い道が登ってきている。おそらく、これが正しい登城道ではなかろうか。 石碑・記念碑・東や・お堂があり、お堂には稲荷社と 北野天満大神の小社が祀られている。東やからの展望も良い。堀切から尾根伝いに先へ行く。やがて、松大木の根方に 数個の石碑、三角点のある場所に着く。山田新城といわれている地点だ。 石碑は御嶽山大神・御嶽山神社・摩利支尊天・ 駒嶽山大神・八幡大神・若宮大御神など。それと 御料局三角点もあった。展望はない。山田城からも 往路を下ることとした。正しい?登城口を確かめたい気持ちはあったが、下りついてから駐車地点までの歩きを嫌う 気持ちの方が勝った。明日も晴れらしい、もう一日高遠の里山を歩くつもりである。

高遠城大手門跡
大手門は城の表門であるが、現在はことごとく 改造され、原形はわからなくなっている。 旧道は左側の畑のあたりで、登りつめた ところに冠木門がありその中に枡形が あった。 右側の古い石垣は枡形の一角と思われるが 、その他の石垣はみな改造されている。 枡形の奥には、間口五間、奥行二間の二階建櫓門 があり、そこを入ると右側に番所があって、 常に警備の役人が出入を監視していた。

元、高遠城楼門(縮小)
この門は高遠高校がこの地にあった とき正門として使用された。 明治四年廃藩のとき、高遠城内の 建築物はすべて取りこわしを 命ぜられた。当時城内には追手、二の丸、 本丸、搦手の四つの楼門があったが、 競売されて民家の門に移築された。 ・・・以下文字がかすれて判読不可。

高遠城
高遠城は諏訪氏一門の高遠頼継が居城としていたが、天文14年(1545年)4月に武田信玄軍が杖突峠を越えて高遠城を取り囲んだ際、勝ち目がない事を悟った頼継は、自ら城を開いて降伏した。 武田信玄は高遠城を伊那地方への進出の拠点とするため、天文16年(1547年)、山本勘助、秋山信友に命じて大規模な改築を行い、秋山信友らを城主とした。永禄5年(1562年)には諏訪勝頼が城主となったが、元亀元年(1570年)、武田信玄は勝頼を自分の後継者として躑躅ヶ崎館に置き、実弟の武田信廉を城主とする。 信玄亡き後、高遠城は重要な軍事拠点として、織田氏からの甲斐進攻の最終防衛基地の役割を担い、天正9年(1581年)には勝頼の実弟の仁科盛信が高遠城主となった。翌天正10年(1582年)2月、織田信長は本格的な武田攻めを企て、長男の織田信忠に5万の大軍を与えて高遠城に迫らせた。高遠城に籠もる城兵の数は3千。織田信忠の降伏勧告を退けて、仁科盛信を先頭に奮戦するもむなしく、凄惨な戦いの末、最後には全員が玉砕して落城した。高遠城の落城により、武田氏は瓦解。9日後に武田氏は滅亡した。 :Wikipedia

黄金水井
この井戸水は黄金水といわれ 高遠の三名水の一つであった。 水深九尺(2m70cm)の底には黄金が敷かれていた との言伝えがあり、夏冷たく、冬は温かく渇水期 にも絶対涸れることがないという。 今も冷水がこんこんと湧き出ている。 ここから城址公園の法幢院郭につづく辺りは 、武術訓練のための馬場であった。 (桂泉院の桂水、満光寺境内の檜水と共に 高遠の三名水といわれた)

絵島囲み屋敷
大奥女中、絵島は、家継の母月光院に仕え、大奥と絡んだ幕府の勢力争いにまきこまれ、高遠に流されました。 この事件のきっかけとなった歌舞伎役者生島新五郎は三宅島に遠流。処罰は1500人にも及びました。 絵島が高遠で流刑生活を送った屋敷を当時の見取り図をもとに復元したのが絵島囲み屋敷です。 格子や矢来で厳重に囲まれた質素な屋敷で、絵島は昼夜十人近くの武士・足軽に見張られていました。 高遠町歴史博物館でご覧いただけます。

五郎山・仁科五郎盛信
仁科五郎盛信は、武田信玄の五男で 勝頼の異母兄弟に当たり、 母は油川夫人、同腹の妹に松姫、菊姫がいます。 仁科氏の名跡を継いだため、仁科を名乗りましたが、 勝頼は天正九年(1581)南信濃支配の要で ある高遠城に盛信を配置しました。 天正十年(1582)織田軍猛攻の前に次々と崩れる 武田勢の中で、ただ一人踏みとどまって 城を守り、壮絶な戦死をとげました。 遺体は地元の農民らによって葬られ、 今もこの地に眠っています。:伊那市高遠町 

山田城址
応永の頃(1394〜1427)、山田新左衛門 が山田城にいて付近を支配して いたが、その子孫は世襲して 城主となっていた。二つの郭は 堀によって隔てられ、郭の周囲には 土塁の跡も残っている。 土塁などから見て中世の山城であることが分る。:高遠町教育委員会

【温泉】
伊那市高遠 高遠温泉 さくらの湯 \500
【宿泊地】
国道152号線 伊那市(旧長谷村) 道の駅「南アルプスむら長谷」


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