早落城跡
はやおとしじょうせき 778m長野県松本市〔1/25000地図〕豊科
〔別名〕洞城
20060108(日)晴れ 今日の画像はこちら

この城の正しい読みは「はやおち」ではなく「はやおとし」である。なぜ、早落の名がついたかは、解説板の通りである。

【道順・駐車場】
松本市洞、県道284号線(惣社岡田線)を行き、バス停「山城口」から山側に下り洞橋を渡ったところが登山口の住吉神社である。 車は、洞村郷蔵跡の道広部に置ける。洞橋のところに狐屋敷居館跡がある。

【コースと時間】
洞橋9:10→9:35早落城跡9:40→9:50小社の森→10:00宮地集落→10:20山火事跡→10:40宮地集落→11:00早落城跡→11:15着

石仏の並ぶ末端から入ると、耳きき様・住吉神社があって、早落城跡の解説板がある。 登ると細長い尾根に空掘跡や郭跡がある。北アルプスの展望台でもある。 下ると反対側の登り口で、わんぱく夢牧場の看板がある。もう少し先を探って見ることとする。 道を横断して林に入る。雪に足跡があった。緩やかでやや盛り上がった程度の山だが、 松の根方、中心部に小社が祭られていた。抜けると宮地の集落に出る。 宮地の石造物、道祖神や二十三夜塔がある。宮地から尾根沿いに、浅間温泉方面に行ける道があるか、と 確かめてみることとした。 止め山テープの山道があり、そのテープが終わると焼けた松の木があって、山火事跡に出た。樹木のない地点であり、展望が 開ける。ここでUターン。宮地で出会った方に茶臼山城跡の場所を教えてもらう。もう一度早落城跡に登り帰着する。

・早落城
中世、稲倉(しなぐら)城の支城、赤沢氏の持城で洞城と言ったが、 小笠原氏は奪って岡田郷の井深城主後庁(ごちょう)氏に与えた。 天文19年(1550)武田氏が林城を攻略した際に赤沢氏はいち早く攻め落としたので早落城と呼ばれるようになった。 赤沢氏は家臣の林氏に守らせたが、天正10年(1582)に廃城となる。尾根に三つのくるわと四条の空掘が残る。
・狐屋敷居館跡
狐とは隠れて見張りをしている 武士をいう。 早落城主の家臣のいた屋敷であろう。 城主が使用した御竹薮が周辺にあった。 北側の上段の畑地を「竹の上」と 呼ぶ。御竹薮か居館の上の意味である。
・洞村郷蔵跡
江戸時代に年貢籾を一時的に 貯蔵したり凶作用に穀物や野菜を 貯蔵もした。時には不心得者や 軽い罪を犯した者をこらしめのために 蔵へとじ込めた。
・耳ききさま
耳聞大明神と御崎荒神を祭る。 昔は耳だれなど耳の病で耳の聞こえない 人が多かった。 このお宮は拝めば耳の穴があいて聞こえる ようになるというので、 かわらけの真中へ丸い穴を開けて 数多く奉納されている。 :本郷地区景観整備委員会

茶臼山城跡に向かう。


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