虚空蔵山
こくぞうさん 773m長野県佐久市〔1/25000地図〕臼田
20041226(日)晴れ

【道順・駐車場】
国道142号線、佐久市下平の信号から山側へ。「虚空蔵山自然の道」の道標あり。 道標に従って登山口の多福寺まで。多福寺に案内図・駐車場がある。
【コースと時間】
多福寺13:20→13:35不動堂→13:45虚空蔵山14:10→14:25着

多福寺から欅の大木をみて遊歩道に入る。 少し登ったところに不動堂・大師堂がある。トイレもあった。常夜燈の年号は嘉永二年。 虚空蔵山について書かれた解説版がある。

虚空蔵山は蓼科山から北東方向に延びた長い支脈 の突端の一つである。山頂は標高773.6m、尾根の 高さをほぼ水平にたもちながら平地にもっとも 張り出した地形で、佐久盆地の大半と四方の山々 を一望におさめる地の利を得ている。 寺伝によれば、文治ニ年三月(1186)西行法師が 善光寺参拝の後、布引から御牧野に至り、 仏の夢のお告げにより大切に所持していた 虚空蔵菩薩の像をこの山に安置して虚空蔵山と 名づけたといわれている。 戦国時代に武田信玄の将兵が虚空蔵山の前を 通ると落馬する事故が続いたため 山頂の虚空蔵菩薩像は寺に移され頂上を 烽火台にしたという。 頂上の南側と西側には土塁が作られ 前山城に通じる南側の尾根は帯状の 馬場となっていた。 その後、山頂に三間四面、総欅作りのお堂を 建てて虚空蔵菩薩を安置したが昭和23年1月、 心ない人々の火のふしまつにより焼失して しまった。 多福寺八十四世澄泓(ちょうおう)大和尚は 弘化三年(1846)三月、四国八十八ケ所 のお砂を移して、この山に弘法大師の ミニ霊場を作り同時に不動堂・大師堂を建立して、 この山を仏様の山とした。 :住職山崎盤澄 願主大井嘉幸

ここからは山腹につけられたS字道を登る。石碑・石仏多数あり。かなり傷んだものもある。弘法大師と 彫られた石碑が多いようだ。 山頂には慰霊碑・石祠と新しい展望台・虚空蔵山の解説版がある。展望台に置かれたノートを見ると、私は本日8番目の訪問者である。 毎日登っている同姓の人の名があった。 展望台からは佐久平を一望できる。北アルプスから佐久の山々。展望図に書かれている山のうち、 見えていたのは岩屋城跡、平尾富士、八風山、志賀城跡、寄石山、物見山、内山城跡、荒船山、兜岩山、茂来山、御座山 といった低い山。北ア、烏帽子、湯ノ丸、東篭ノ登山など高い山は雲の中。 晴れてきたが浅間山の山頂には雲がかかって噴煙は見えず。 山頂の背後に堀切あとがあって、ここまで未舗装だが車道が通じている。何でも「馬場」ということで 何処に出るのか興味はあったが、ここで引き返す。

虚空蔵山(こくぞうさん)
虚空蔵山、標高773.6m、蓼科山から東北 に伸びる長い尾根の先端に位置する この場所は、佐久平を一望出来る展望の 良好な場所である。全国に虚空蔵山と呼ばれる 山は多くあり、ここ佐久市根岸にある虚空蔵山 の名前の由来は、頂上に虚空蔵堂があり中に 本尊虚空蔵菩薩像が祀られていたことから 、虚空蔵山と呼ばれた。 現在、本尊虚空蔵菩薩像は麓の 古刹真言宗多福寺に移されている。 虚空蔵堂は、1948年(昭和23年)に焼失した。 虚空蔵山の最大の特徴は二つあり、その一つが お遍路さんで知られる四国八十八ケ所 の霊場をもした「新四国八十八ケ所」の 「写し霊場」となっており、山の斜面に 置かれた石仏群は計八十八体あり、一体一体が ミニ霊場を構成する。 石仏群はいずれも江戸後期の作であり 、四国まで行く余裕のなかった当時の庶民 は、身近な里山を霊場と見立て参拝した。 (虚空蔵山新四国八十八ケ所)

江戸後期の1844〜45年、 多福寺八十四世住職の澄泓法印と檀家の一人 が相次いで四国八十八ケ所の霊場を巡礼。 四国の土を持ち帰り、ふるさとの檀信徒に 呼びかけて虚空蔵山に八十八ケ所の写し 霊場を造った。 88体の内訳は石像が67体、文字碑が20基、 梵字碑が1基である。 それぞれの製作者は不明であるが、寄進者は 佐久市内一円のほか九州や名古屋にも 及んでいる。 もう一つの特徴としては、武田信玄が佐久地方に 侵攻した際に、武田方の家臣が虚空蔵山の前を とおると落馬する事故がつづいたため、 それまで山頂に祀られていた、 虚空蔵菩薩像を麓の多福寺へ遷座(せんざ)し、 頂上を烽火台としたという 言い伝えが残されている。

烽火台(のろしだい)
武田軍は、佐久地方を制圧した後、村上氏を 追って小県(ちいさがた)から川中島にまで進出し、 越後 (新潟県)の上杉軍と対峙する一方、佐久を 中継基地として上州(群馬県)のも軍を進めた。 このように戦線が拡大すると、本国甲斐(山梨県) との速やかな連絡手段が大きな課題になる。 そこで採用されたのが烽火台で、甲府を起点に 佐久を経て海津城(長野市松代)まで、 また佐久から碓氷峠越えで 上州箕輪城(群馬県箕輪町)まで、地形を選んで 一線に構築された烽火台に規定の狼煙が 焚かれると、それは烽火台を次々に焚き継がれ 、短時間で甲府へ伝わった。 ここにあった烽火台もこの一つであった。 頂上に狼煙の焚かれた痕跡は見られないが 、背面は土塁と堀切で固められている。 堀切の後方尾根上には幅5m内外、長さ1000m におよぶ平らな土地があり、地元ではこれを 直線馬場と読んでいる。:頂上の解説版

【温泉】
浅科町 浅科温泉 穂ノ香の湯 \300 石鹸・露天・休憩室あり。
【下山後】
入浴後、丸子町経由で松本に帰る。まだタイヤを換えていなかったので、 雪による路面の状態が心配だったが、路面に雪なし凍結なし。 回りに雪があったのは三才山トンネルまで。トンネルを抜けると松本には雪なし。総走行距離339k。


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