物見山 | ものみやま | 1190m | 長野県塩尻市 | 〔1/25000地図〕塩尻・鉢伏山 |
| 20041122 | (月) | 晴れ |
【道順・駐車場】
塩尻市から国道20号線を行き、道の駅「小坂田公園」の少し先、国道脇に駐車場があり、そこに阿礼神社奥之院
がある。
【コースと時間】
阿礼神社奥之院9:20→9:40電気牧柵入口→10:05池大神10:20→10:55阿禮神社有林の碑11:00→
11:20塩尻山の会標柱→11:25車道(高ボッチ高原標柱)→11:35御嶽神社石碑11:40→11:55四沢ダム12:00→12:25物見山12:35
→12:40御嶽神社石碑→12:55阿禮神社有林の碑13:00→13:35クリーンセンター13:45→
977.1mピークを目指すも中退→14:20クリーンセンター
入口→国道20号線→14:30着
奥之院の左から少し登ったら、何と牧柵(電気柵)の畑に出た。左から畑の外側を回るのは遠回りに なりそうである。そこで柵に沿って柵の外側を歩くこととした。 当然、道ではないから歩きにくい。電気柵の入口がある、たい肥施設のところで右から道が合流。 松の木に塗られた白ペンキとむすばれたテープを辿る。 ハッキリとした道はないが、国道にも近く、右下にクリーンセンターの塔や沼が見えてくる。ちょっと道を外れたようだ。 塩ビの杭やら頭の赤い杭など、とにかく印をたどる。再び白ペンキの木があって、先に社と石碑が見えた。 松の木の立つ広々としたところで、一方の展望が開けて穂高が見える。 地形図を見るがどの地点か、今一つハッキリしない。意外だったのは、ずらーっと並んだ石碑群が あったことである。
石祠・お地蔵さんが一つと石碑が多数ある。 一つだけお堂の中で「池大神:昭和14年」、池火権現、鳴神:平成元年、鉢伏大権現、刀利大権現、 御嶽山神社:明治19年、阿禮神社、摩利支天尊:明治22年、○利支天:明治22年、威賢行者、神力明神、薬師如来、 駒嶽神社:明治21年の石碑。池大神が一番新しい。 これだけの石碑があるのだから 重要な地点であると想像できる。雪峠か?。 ここから緩やかに先に行くと作業道に出た。長畝区有林の表示があり、左手から踏み跡が合流する。 作業道と分かれる踏み跡があるが、ここは木の幹の白ペンキと白テープを辿る。 小さな流れがあって、この先で再び作業道に出た。横切る。 界石柱とテープを辿る。 柿沢区と書かれた赤い杭になる。
前方に記念碑があった。「式内阿禮神社有林実測・・七畝歩:昭和3年3月」 と刻まれている。 もう一つは「植樹記念:昭和50年5月」とあった。 木の幹に赤く塗られた「アレイ」の文字は、阿禮神社の社有林の境界を示すもののようだ。 ここからも踏み跡を辿る。界石柱あり。しばらくアレイが続き、今度は木の赤ペンキは○サ印になった。はて、サは何か。 分からないままにサを辿ると、広い道に出た。ここに 倒れている朽ちかけた白い柱があった。起こして見ると「塩尻山の会・昭和53年」と書かれていた。 帰りに、この道を下ると何処に出るのか、非常に興味があったが、今回は止める。 いずれ機会があれば探ってみたい。 この先で高ボッチ高原への車道に出た。
モニュメント風の「高ボッチ高原」の看板がある地点である。 車道を横切り、対面の尾根を登る。塩尻市の杭が続く。F0の杭で始まりF1で作業道に出る。 その上に御嶽神社の石碑があった。 カラマツ尾根に六本のヒノキ。 真中に御嶽神社の石碑。裏に桟敷社中とある。年代は不明。 サは桟敷地区の意味だったことが分かった。 下の作業道を確めに行く。ダム竣工の記念碑「流洽」とほられた石碑:昭和62年12月があって、四沢川砂防ダムがあった。 二ツの沢がダムに流れ込んでいる。 道はダムの上まで行けるようになっている。 ダムの上で改めて地形図を確める。石碑のあるところから尾根を辿ったところが、 小ピークになっている。尾根を辿りササを抜けると山頂。
塩尻市の杭bヘF14である。 すぐ下は、高ボッチ高原への道から林道片丘線が分岐する地点である。 最初は石碑の桟敷から「桟敷山」と名付けたが、その後、 塩尻市の資料を見てここが「物見山」の地点であることが分かった。 ノロシ台との説もある。 ここから引き返す。 五百渡山へは次回とする。 帰りは、阿禮神社有林実測の石碑の先でショートカットして、柄沢区の赤い杭を辿って下った。 赤テープ沿いに下るとクリーンセンターの前に降り立った。 国道20号線に出て、出発点に帰り着く。年代は比較的新しいものの、 多数の石碑は意外であっただけに、「東山の歴史」の新発見をしたような気分であった。 こんなところが里山歩きの楽しみの一つでもある。