中入城跡 | なかいりじょうせき | 1056m | 長野県松本市 | 〔1/25000地図〕山辺 |
| 20040502 | (日) | 晴れ | 前回(20020427)の記録はこちら |
【道順】
松本市内から県道67号線(松本和田線)を行き、入山辺の奈良尾集落と原集落の境界のところ、
左に分岐(国道の道標に「狭路・急坂」と書かれている)する道がある。
この分岐の簡易水道施設の前。ここから中入城跡と袴越山の登山口を確めに行く。
【駐車場】
道路脇に置く。簡易水道の施設のあるところ。
【コースと時間】
駐車地点9:35→間違い道→10:05登山口→10:10分岐の鳥居→10:25中入城跡→10:35秋葉神社10:40
→10:45中入城跡11:15→11:20分岐の鳥居→三柱大神→12:00金山彦命→12:05着
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出12:05→12:20徳運寺→12:35中村公民館→12:45千手→12:55足浦沢13:25→13:45千手の神社
→14:25着
袴越山の登山口を確めに行くのが今回の目的であるが、ついでに中入城跡によってみることとした。 車を置いたところから奈良尾の集落に入り、山側の家の人に城跡への道を訪ねる。 以前のルートとは違う道を教えて頂いたのだが、良く分からない。案内や目印は ないらしい。適当に見当をつけて山側に進んだが、ヤブとなって真っ直ぐは行けそうもない。 山裾の畑を左に移動して、結局前回と同じ、三反田からの道(舗装の農道)に出ることとなった。 農道の行き止まりに車が一台。左は「私有地につき入らないで下さい」のロープがある。 正面に踏み跡があるので、私有地に入らなくとも城跡に行ける道か、と入ってみたが、すぐに道は消える。 考えるに、皆さん同じ事をしているようで、いつのまにか(間違い)道ができてしまったようである。 戻る。 ロープを跨いで少し行くと社があって、その先、トラロープと城跡への道がある。 ほんの少し私有地を歩くこととなる。
トラロープ沿いなら私有地ではないのだが、少々ヤブっぽい。 鳥居があって、 鳥居の所で右から道が合流している。これが正しい道ではなかろうか。どこが起点かを確めたい、と 帰りにはこれをたどってみようと思った。 急坂だが、後は間違いようのない一本道。 下山者一名。 解説版の後ろが城跡で、二人の人がいた。 先ずは秋葉神社に向かう。堀切跡を見て少し行くと見覚えのある秋葉神社に着く。 神社前のスミレの群落を見て、あー前回も同じ時期にきたんだなー、と思う。 神社の裏手も段差があって、昔の郭の跡がある。 引き返し、城跡の石垣脇を登って社のある城跡へ。石垣脇のヤマブキも以前と同じ。 休んでいた二人の人と話す。この方は城の縄張り図をもっておられたので、城跡の調査・研究でもされている人では ないかと思った。で、秋葉神社の土台について聞いてみた。初耳だったようである。
前回も書いたが、この秋葉神社は、 神社の土台となっている石が石臼なのである。そんなことに気がつき、興味をもつのは私だけかも知れないが、 「石臼を土台としたいきさつ」には興味がある。私の知る限り、他には例がない。 石臼は、昭和20年いや30年代はまだ使われていたのではあるまいか。子供のころ母親の実家で使っているのを見た記憶がある。 私はこんなふうに考えている。 神社の立て替えについての話し合いの席で、誰かが提案したのではないかと「使わなくなった石臼を 土台にしてはどうだろうか」と。「うん、そりゃいい」ということになり、 そして、担ぎ上げたものであろう。 一石二鳥のグットアイデアであると思う。 石臼がいつのものかは分からない。今の神社よりももっと以前かも知れない。石灯篭は宝暦十一年とある。が、 もし立て替え時期が昭和なら、当時のいきさつを知っている人が いるはずである。聞いてみたいと思うのである。
さて、鳥居からは未知の道に下った。はじめは道らしいが、やがて、不明瞭になる。 林の中の削平地から扇形の沢に出た。ここに何と、鳥居と石祠があった。三柱大神とある。 沢沿いの下りは倒木などあって不安。 左の尾根の方に行く。植林地に出て、鋼鉄製のロープの張られた地点に出た。 車を置いた地点の上に当る。道路も見える。 ロープ沿いに下ると松が二本、桧が一本。木の根本にまた石の祠があった。金山彦命とある。 そして、水の神の石碑とお地蔵さんのある畑に降り立った。 鳥居や祠、お地蔵さん等、間違った道ではなく、使われることもほとんど無く、消えかけている 道ではなかろうかと思える。 つまり、分岐にある簡易水道の施設から見える、 奈良尾地区の入口、カーブミラーのあるところが取付き点である。 カーブミラーからお地蔵さんが見え、その後ろに踏み跡がある。あとは、金山彦命、三社大神、とたどれば 登山道に出ることができる。テープの目印をつけておきました。
一度車を置いた地点に戻り、袴越山の登山口を確認に出かける。 地形図を見ると先手(せんず)集落からの破線と足浦沢沿いに破線があり、いずれも美ケ原林道につながっている。 この入口を確めに行くのである。 時間もあるので歩いてみることとした。上手町から徳運寺、国道に出る。 車では気づかない「水神」がある。大手橋バス停前から右、山側へ。 北入中央公民館、中村公民館と登って先手の集落。「千手のイチョウ」の案内あり。 先ずは足浦沢方面へ。沢道の入口から少し登った。 破線通りに山道があった。「うん、これなら行けそうだ」とこの時は思った。車は途中の退避所に置けることを確認。
今度はもう一ケ所を。「千手のイチョウ」から山側へ。すごい急勾配の道。 沢でもないのに民家前は大量の水が流されている。そういえば、ここまでの間に数カ所「水神」があった。 一番山側、最後の家は養魚場である。ここにも水神社がある。どこかに湧水でも出ているのだろうか。 もしかして、山辺地域では最高所の水、知る人ぞ知る名水ではなかろうか。と、この時は思った。そして、お堂のところから 山道が続いている。 しかもいい道である。「うん、これなら袴越山へ行ける」とこの時は思ったのである。 両方の登山口を確認でき、満足の気持ちで往路を引き返す。はて、イチョウはどこにあったのか。 見落としたのかも知れない。でも、まあいいか。土地の人と立ち話。「水神」で顔を洗い、車に戻る。
後日、袴越山へのアプローチ。実は思わぬ結果となったのである。それは、次ぎのページで明らかになる。